2025.04.08
3月31日に 最後の年長さんを玄関で見送り、
『これで1年が終わったな~』と
感傷にひたったのもつかの間、
翌日には小さい小さい未満児さんが
保護者の方々に抱かれて登園し、
賑やかな泣き声と共に新年度がスタートしました。
地震や紛争で悲しいニュースが流れる中、
無事に1年を終え、また穏やかに
新たなスタートができることに感謝して、
新年度を迎えたいと思います。
さて、1日から未満児クラスがスタートしましたが
3日目ともなると、置いていかれることを察知した子ども達は
玄関から渋い顔、泣き顔、頬にはすでに涙が乾いた後…。
また、部屋では泣きながらもお家の方に
手を振るけなげな姿も…。
どの子も新しい生活を受け入れるために、
精一杯頑張っている姿です。
在園児として進級した子どもたちも
園に慣れているとはいえ、担任も部屋も替わり、
響き渡る泣き声の中 不安な気持ちでいると思います。
泣いている我が子を預けていかれる
保護者の皆様も後ろ髪をひかれる思いで
おられることでしょう。
今保護者のもとを離れた子どもたちは
私たちの顔をまばたきもせずに
じーっと 見つめています。
(穴のあくほどとは、こういうことなのかと実感しています)
見つめながら「この人は誰なのだろう」
「この人と居て大丈夫なのだろうか」
「自分にとって害のない人なのだろうか」
と見定めているのでしょう。
そして大丈夫と思ったときにはじめて笑ってくれます。
こうやってはじめの一歩を踏み出すために
頑張っているのです。
これからスタートする年少さんも
一足遅れて同じ姿が繰り広げられていきます。
子どもたちにとっての はじめの一歩 は、
親にとっても はじめの一歩 です。
はじめの一歩を踏み出すためには
本当に大きなエネルギーが必要です。
そして子どもたちのエネルギーの基は
『保護者の皆様の元気』と『大丈夫なんとかなる』
というおおらかな心だと思います。
以心伝心とはよく言ったもので
保護者の方々の心に元気がないと
それは必ず子どもたちに伝わります。
不安な気持ちも、イライラした気持ちも同じです。
子どもの心は本当に敏感です。
でも大人だって新しい一歩の中で落ち込むことや、
悩むことがありますよね。
そんな時は一人で頑張ろうとしないでください。
いつでも職員を頼ってください。
話すことで心が軽くなることもあります。
頼ることも大切な生きる術です。
お友だちに出会う、先生に出会う、新しい出来事に出会う、
これから出会う一つひとつのことが
子どもたちを育ててくれます。
私たち大人も子どもたちを通して様々なことに出会います。
今しかないこの時を一緒に楽しみながら過ごしていきましょう。
1年間どうぞよろしくお願いいたします。
園長 玉井史恵
2025.02.08
今年度も残すところあとわずかとなってしまいました。
始業式の日に年長さんが卒園式までの登園日数を数えたところ
45日だったそうです。
長いと思っていても月日の経つのは本当に早いものですね。
2学期の終業式に
年末のあいさつは 「良いお年をお迎えください」で、
新しい年になったら「あけましておめでとうございます」
というあいさつをするのよ。
ということを伝えました。
終業式の降園時 あちこちで「良いお年を」
という覚えたてのあいさつが飛び交っていました。
そして迎えた新学期、登園してくると
「園長先生 あけましておめでとう」と
気持ちよく声をかけてくれた子どもたちが大勢いました。
始業式でもお聖堂に集まった子どもたちと
「あけましておめでとうございます」とあいさつを交わし、
「お家でも あけましておめでとう とあいさつをしたかな」
と聞いてみると「したよ!」という多くの声に混じって
「あっ!忘れた~」という声がちらほら。
そんなはずはないでしょうと思いましたが、
そう言えば、「あけましておめでとう」
とあいさつをしたら「ありがとう」と
返してくれた子がいました。
やっぱりお家で正月のあいさつをしていなかったのかな~?
昨年 小学校1年生の参観に行った時、
朝は「おはようございます」帰る時は「さようなら」と
教科書を使って授業が行われていて、
あいさつって 教科書で勉強する時代になった!と、
とてもおどろきました。
子どもたちは周りの大人があいさつをしているのを聞きながら、
家族とあいさつを交わしながら覚えていくものという
時代ではなくなってしまったのでしょうか…
そう思う私が時代遅れなのでしょうか…。
時々 入園したての年少さんに
「おはようございます」と声をかけると「うん!」と返事が返ってくることがあり、「うんではなくて、○○ちゃんもおはようと
言ってみて」と教えることが度々あります。
先日大学の先生からも
『最近あいさつのできない学生が増えてきて、
しっかりあいさつを教えてから
実習に出してくれと幼稚園から叱られることがある
〈あいさつあいさつをきちんとする〉と
教えるだけでは伝わらない。』
という嘆きの声を聞きました。
みなさんは 家族の中で
「あけましておめでとうございます」と
あいさつを交わしましたか?
毎日「おはよう」「ただいま」「おかえり」
「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」
等のあいさつを交わしていますか?
育てたように子は育つ、
その子どもはまた親になって同じように
子育てをしていくのです。
あいさつは人間関係の基本となる大切なこと。
幼稚園でもやっていますが、
それぞれのご家庭でも意識して
あいさつを交わしていきましょう。
園長 玉井史恵
2024.12.08
今年もまたクリスマスの季節が巡ってきました。
毎年クリスマスが近づくと、
子ども達とどんなことを大切にして
待降節を過ごしていきたいか先生方と考えています。
今年は、神様が創られた世界、
神様からのメッセージを子ども達に
伝えるところから始めようということになりました。
皆さんは天地創造のお話しをご存じでしょうか、
(後に載せますので読んでみてください)
すべてのものをよいものとして創られた神様は、
最後にご自分に似せて人間をお創りになりました。
そして 神様は「私が創ったものを大切にしなさい」
とご自分がお創りになったものを人間に任されました。
これが神様から私たちへのメッセージです。
皆さんは魔女の宅急便の映画の中で流れている
松任谷由美さんの、『 やさしさに包まれたなら 』を
ご存じでしょうか?
松任谷由美さんは
カトリックの幼稚園に通っていたそうで、
この歌詞は自分の幼稚
園時代の経験が元になっているのだそうです。
子ども達に話しをするタイミングで
この話を司教様からお聞きし、
改めてこの歌詞を読んでみました。
この歌の中の 「♪目にうつるすべてのことはメッセージ♬」
という歌詞は、
私たちが出会う人々や出来事はすべて神様からの
『 大切にしてね 』 のメッセージが
込められているのだなと思いました。
話は変りますが、
私たちは年間多くの研修を受けています。
一般の研修会では、参加者がグループに分かれて
話し合いをすることを、
分散会とかグループ討議などと言います。
けれども同じことをカトリックの研修会では
『 わかち合い 』といいます。
ここには知識を学ぶだけではなく、
相手の思いを知って心で受け止める、
たとえ自分と同じ思いでなくても、
あなたはそう思うのねと心を通すことが
『わかち合う』ということなのだと思います。
ここにも相手を思いやる
大切にするという思いが
込められていると思います。
子ども達はそれぞれのクラスで、
周りの人や物を大切にするって
どんなことができるだろうと考えながら過ごしますので、
ご家族の皆様は子どもたちが、
何かを大切にしている姿を沢山見つけて
「神様喜んでいるね」と一緒に喜んであげてくださいね。
そして私たち大人も子ども達と一緒に
神様のメッセージに心を向けてクリスマスを
迎えられたらいいですね。
園長 玉井 史恵
2024.10.08
夏休み中に数名の職員と共に
カトリック幼保連盟の全国大会の研修会に参加してきました。
全国各地からカトリック園で働く
500名ほどの先生方が集まりました。
神父様の話やドクターの話など様々な分野で研修を
受けてきましたが、
その中から少しお話ししたいと思います。
長い間急性期の新生児医療の現場にいたという
ドクターが 私はカトリック信者ではないけれど
『新生児』という言葉は
本来は『神生児』という言葉が相応しいとおっしゃいました。
神の御業なくして命は誕生しないと感じられたそうです。
胎児の神秘、神生児の神秘、出産の神秘、
について具体的に教えてくださいました。
専門的すぎてお伝えできないのが残念ですが、
誕生するまでにこんなにもすごいことが
起きているのだと驚きました。
またある神父様は、
『命は神様からの寄付』だと言われました。
(寄付という言葉の意味は
自らの意思で金銭や品物を無償で提供すること とあります)
神生児と言う言葉とのつながりを感じました。
世の中に人材バンクというものがありますね。
人材とは役に立つ人物、
才知ある人物という意味だそうですが、
神様は人材を育てるためではなく、
一人ひとりにそなわった良心(神様の声)を
育てるために命をくださいました。
見えるものに目をそそぐのではなく、
見えないものに目をそそぐことこそが
良心を育てることにつながっていくと言われました。
そしてその基礎となるものが愛されて育つということです。
医学界でもそれは同じで
愛着という言葉で表されています。
(愛着とは 時間、空間を隔てても永続的に持続する結びつき)
これが子どもたちの生きる基礎となる。
大勢の子どもたちを診療してきた医師が
愛着形成こそが子ども達の発達を支える土台となる。
だから乳幼児期は 教育よりも 響育・共育 が
大切なのだと言っておられました。
また、ハグは抱かれている人が
「幸せ」「喜び」「楽しみ」というものを受けるのではなくて、
本当は抱いてやる人が安心や幸せや喜びを感じる
ホルモンが出るそうです。
子どもたちがぎゅ~と抱きついてきてくれた時の幸福感。
これは日々実感しているので私にもよくわかります。
皆さまも同じではないでしょうか。
どうしてよいか分からなくなったら、
ただ黙って抱きしめる… それだけでよい。
‘‘ハグは百薬の長なり‘‘ だそうです。
カトリックでも医学でも大切なことは同じでした。
ちなみにハグとは…
『身も心も含めて受け入れ、抱きしめてやること』
だそうです。受け入れるに心を足すと愛になりますね。
心を込めた沢山のハグで子どもたちに愛を届けていきましょう。
園長 玉井 史恵
2024.07.01
6月の第一土曜日に、岡谷にある聖母幼稚園で、
長野県のカトリック幼稚園、保育園の先生方の
研修会がありました。
会場が私の母園ということで
この研修会をとても楽しみにしていました。
(父の転勤で幼稚園卒園までの3年間だけ岡谷に住んでいました。)
50年以上ぶりに園の前に立ってみて、
(園舎は新しくなっていましたが)
『毎日母と一緒にこの道を歩いたこと』
『通園途中にあったちいさな駄菓子屋さんを
道端から覗くのが楽しみだったこと
(買ってはもらえないんです)』
『仲良しの友だちの家が園の隣にあったこと』
『親子遠足の時、母がお産で動けなくて、
近所のおばちゃんが一緒に行ってくれたこと』
いろいろな思い出がよみがえってきました。
どれも大した出来事ではありませんが、
懐かしさとともに心がじんわりと
幸せな気持ちに包まれました。
幸せだった私がそこにいたからです。
さて、皆さんは子どもの頃の幸せな
記憶はありますか?皆さんのお子さんの中にも
幸せの記憶が刻まれているでしょうか?
以前こんなことがありました。
幼稚園に来ることが嫌になってしまったお子さんが、
1週間頑張って幼稚園に来たら何かご褒美をもらえるという
約束をしました。
1週間後約束通りご褒美をもらえることになりました。
お母さんはとても張り切って、
いつもは行かない少し遠くの
楽しそうな公園に連れて行ってくれました。
でもその子はそんなに喜ばなかったというのです。
よく聞くと『家でお母さんとカルタをしたかった』
のだとか。子どもの思いを知ることは簡単なようで、
難しいこともあると教えられた出来事でした。
でもそのお子さんはご褒美がなくても
幼稚園に来られるようになりました。
お母さんがその子のために何をしてあげようか考えて、
一緒に遊んでくれたという愛を感じたからだと思います。
同じようにご褒美をもらうという約束をしたお子さんがいました。
その子のご褒美は物を買ってもらうことでした。
1週目は頑張ってご褒美に好きな物を買ってもらいました。
でもそのお子さんは、2週目はもう続きませんでした。
物では子どもの心を満たせなかったということです。
今の時代は物にあふれています。
欲しいものは大抵我慢せずとも手に入ります。
でも、ずっと我慢して手に入れたとか、
沢山お手伝いして買ってもらったとかでない限り、
物から得る喜びはその時だけのものだと思います。
私たち大人もそうではありませんか。
子どもたちの心の中に残るものは、
やはり人との関わりの中で生まれるものだと思います。
幸せの記憶は物では刻めないのだと思います。
お仕事で忙しい方が多いと思いますが、
今子ども達が求めていることに心を向け、
お子さんのための時間を一緒に過ごしてあげてください。
時間の長さではありません。
1日の中で少しでもお子さんと向き合い、
顔を見ながら会話をしていますか?
小さなことでいいのです。
この夏、ぜひ
『ものより思い出』 の時間を過ごしてみましょう。
園長 玉井史恵
2024.05.01
入園から1カ月、
新入園のこどもたちも毎朝、
御像の前で「イエス様マリア様おはようございます」
と手を合わせています。各お部屋でも朝の祈り、
昼の祈り、帰りの祈り 一日の中で様々な祈りがあります。
また年長さんは毎日のようにお聖堂にきて、
食べ物のないお友だちの為に祈ったり、
休んでいるお友だちのために祈ったり、
自分のことよりも、
周囲の人のために祈ってくれる姿がとても多く、
やはり神様の一番近くにいるのは
こういう子どもたちなのだなと感じています。
日本人は生まれた時は神社で、
結婚式は教会で、お葬式はお寺で、
本当の信仰はどこにあるのか
という記事を目にしたことがあります。
日本にも沢山の宗教がありますね。
我が家も、私の祖母は天理教を信仰していて、
叔父はプロテスタントの牧師で、
私はカトリックです。
そんな中、娘が小学生の時、
『どうしていろいろな神様がいるの?どの神様がいいの?』
と聞いてきました。
返答に困った私は当時お世話になっていた
清永神父様にそのまま問いかけました。
神父様は『山登りを想像してみて、
頂上に行くために道は一つではないでしょう。
いろいろな道を通って頂上を目指していくのと同じだよ。
いろいろな宗教の道を通っても、
たどりつく神様は一人なんだよ』とお話してくださり、
とても腑に落ちました。
だから子どもたちも家の仏壇や神社やお寺で
「父と子と…アーメン」と祈ってもいいのです。
神父様の話をいろいろな時にお聞きするのですが、
「カトリックでは祈りは
すぐに結果が表れるものではありません。
今私たちが生かされているのは、
ずっと昔に祈った人の祈りのお陰かもしれません」
という話がとても心に残っています。
またある神父様は
「祈る前から神様は私たちの心の中をご存じです。
だから素直に祈れない時はそのままの
自分の気持ちを神様にぶつけていいのです」
とも言われました。この言葉も私の心を楽にしてくれました。
そして「私たちは神様のご計画の中で
生きているので、自分の思い通りにならないことも
沢山あります。でもそれは神様が、
今私に必要なこととして与えてくださっているものです。
だからこの困難や苦しみを取り除いてください。
と祈るよりも
『困難を乗り越える力を与えてください』
『私が苦しみを乗り越えられるように、一緒にいてください』
と祈りましょう」と話されました。
この言葉もまた私の支えになっています。
苦難に直面した後、ずっとずっと後になって、
あの時の経験が役にたったと思ったことはありませんか。
私はそういうことが沢山あります。
今私たちが経験していることに
なにひとつ無駄なことはないのだと感じています。
それは子どもたちにとっても同じです。
今新しい環境の中で
不安な気持ちを抱えているお子さんもいますが、
新しい環境に慣れようと毎日一生懸命過ごしています。
このような小さな山を乗り越えながら、
様々な環境に適応する力が育っています。
この状況を取り除いてくだいと祈るのではなく、
子どもたちに変化を乗り越える力を与えてください。
私に子どもを支える力を与えてください。
と一緒に祈っていきましょう。
園長 玉井史恵
2024.04.05
3月の最終週、「今日が最後の登園です。」
と入れ代わり立ち代わり職員室にきてくれた年長さん。
幼稚園を去る寂しさや、小学校への希望や、不安や、
言葉にできない心の内が子どもたちの表情に表れていました。
『みんな頑張って!』祈りを込めてその背中を見送りました。
別れの後にやってくるのは新しい出会い。
年長さんが去った2日後には新しい子どもたちがやってきて、
また賑やかな日々が始まっています。
私の娘は幼稚園・小学校までは、
ただただ『楽しみ、嬉しい』と
新しい世界へ飛び込んでいきました。
それが中学生になる時には、
新しい出会いに不安の方が大きくなっていました。
自分自信を振り返ってみても新しい世界に入る時は、
『どんな人がいるのだろう、きちんとやっていけるのだろうか、
うまくなじめなかったらどうしよう』そんな気持が
今でも沸き上がってきます。
保護者の皆様もお子さんに対して今そんな思いを持たれて
いるのではないでしょうか。
お子さんに限らずほとんどの方は、
自分の安心できる居場所ができると
不安が減っていくように思います。
子どもたちにとっての安心基地は、
生まれてすぐはご家族、
社会生活が始まってからは、
年齢が低いほど先生、
年齢が上がってくると先生からお友だちや仲間へと
変化していきます。
春に桜が咲くためには、
冬の寒さが必要だと言われています。
寒さが厳しい年ほど暖かくなると
すぐに開花するそうです。
子どもたちの成長も桜の花と同じように
開花までの道のりが必要です。
4月、安心の場所を求める子どもたちがいっぱいです。
新入園児に限らず、進級の子どもたちも同じです。
静かな職員室に安心基地を求めてくるお子さんも
毎年のようにいます。
一番初めに抱っこしてくれた先生が
安心基地になることも多くあります。
泣くことも、安心基地を求める精一杯の表現です。
これは誰にも代わってあげることはできない大切な時です。
子どもたちが様々な時を超えて、
何度も新しい出会いを繰り返しながら、
安心基地の作り方を学び、
どんな環境にも対応できる力、
生きる力を身につけるために、
ゆったりとした気持ちで見守り、
一人ひとりの開花を待ちましょう。
職員一同お子さんの安心基地になれるよう
力を尽くして参りますので、
今年度もどうぞよろしくお願いたします。
玉井 史恵
2024.02.05
元日から石川県で地震が発生し、
大きな不安や悲しみに包まれました。
楽しみにしていたお正月、
帰省中に亡くなられた方もおられるという
報道もありました。帰省さえしていなければ…。
という後悔の念を抱いている方もおられることでしょう。
震災によって辛い思いをされている方々の重荷が少しでも
和らぎますようにお祈りいたします。
私はいろいろな痛ましい事故や事件が起きるたび、
祖母の言葉を思い出します。
明治生まれの祖母はいつも
「家を出たら何が起こるかわからない、
ここで交わした言葉が最後になるかもしれない。
だから『 機嫌よく笑顔で送りだしなさい 』
『 笑顔で家を出なさい 』といつも家族に言っていました。
子どもの頃はその言葉を聞いていても、
言葉の意味を深く理解しようなどと思いませんでしたので、
母と喧嘩をして口を利かずに家を出ることもありました。
(喧嘩の理由は覚えていないので、
些細なことだったと思いますが)
もちろん喧嘩をしているので、
母も「いってらっしゃい」とは言ってくれません。
プリプリ、モヤモヤしながら学校に向かった気持ちは覚えています。
結婚して親になり子育てがはじまると、
叱ったり、親子喧嘩をしたりすることも数知れず。
そんなイライラとした気持ちで、
よく顔も見ずに送り出してしまった後、
いつも祖母の言葉を思い出しては
「このまま二度と会えなかったらどうしよう」
という不安に襲われ、
『笑顔で見送らなければ…』と反省し、
完璧にはできていませんでしたが、
叱った直後も意識して明るく声をかけて
見送るようにしてきました。
こうして自分が親になって初めて祖母の
言葉の重みを実感することができた私です。
毎朝、昇降口で子どもたちを迎えていると、
『あれ?今朝はお家で何かあったのかな?』
と思うお子さんが時々います。
「どうしたの?」と聞くと「叱られた」
と話してくれるお子さんもいます。
どうして?と聞くと「ごはん食べなかったから」
「ゲームやってたから」「早く起きなかったから」
「はやく着替えなかったから」とほとんどの子どもたちが
叱られた理由を理解していることに驚かされます。
朝の様子を担任に伝えると、時によっては半日くらい、
朝の気持ちを引きずっているお子さんもいるそうです。
叱ったつもりはなくても忙しい朝、
ついつい小言が多くなることもあるでしょう。
そんな時は私の祖母の言葉を思い出していただけたらと思います。
小言を言った後も、叱った後も、
どんな時も 顔を見て笑顔で「いってらっしゃい」と送りだす。
簡単で当たり前のことだけれど、とても大切にしたいこと。
皆さんはやっていますか?
園長 玉井史恵
2023.08.25
この夏も甲子園での高校野球、世界陸上
など様々な競技がTVで放映されており
幼稚園でもスポーツの好きな先生方は
勝った負けたから、選手や監督の話などで
盛り上がっています。
私はスポーツにはほとんど興味がないので
まったく話にはついていかれず
先生方が楽しそうに話しているのを聞いています。
聞いてはいても頭に残ることはほとんどないのですが
(興味がないってそんなものです)
好きなことを話す時は皆とても
生き生きと楽しそうで、
その様子を見ているのもよい時間です。
私の娘は物心ついた時から魚が大好きで、
水族館に行ったら開館から閉館までいるような
子どもでした。なんでこんなに好きになったのか
全くわかりませんが、好きとはそういうものなのでしょう。
大きくなったらイルカショーのお姉さんになりたい
とうのが長年の夢でしたが、運動がとても苦手な娘が
イルカショーのお姉さんになれることはなく、
その夢はかないませんでしたが、
生き物の勉強を選び、それに関係した仕事についています。
また、私の甥っ子はマリア幼稚園にいたのですが
(身内の話ばかりで恐縮です)
卒園式の練習でまっすぐ後ろを向いて
(保護者の方を向いて)歌を歌えませんでした。
いつも体は斜め45度。誰に何と言われてもできず…。
当日も同じでした。
歌は大好きだけど恥ずかしさには勝てなかったのです。
その甥っ子が今は音大生となり、
人前で歌ったり演奏したりしています。
好きなことが苦手を克服したのです。
夏休み中希望保育に来ていた子ども達が、
エンジェル教室で使う三つ編みの紐を編んでくれました。
それはそれは丁寧に編まれていて驚きました。
コツコツと細かいことをするのが好きな子が
いてくれたからです。
好きなことには惜しみなく力を注げるものなのだと思います。
瀬戸内寂聴さんが「好きなことがその人の才能です」
とおっしゃっていましたが
子どもたちの姿をみていると本当にその通りだと思います。
好きなことには惜しみなく力を注げるので
好きなことを伸ばしていくことはとても大きな力になるのです。
2学期は運動会やクリスマス会など大きな行事があります。
親としてはどれも頑張って良い姿を見せて欲しいと
思わずにはいられませんね。
でも行事の時に見える姿が全てではありません。
好きなことが違うように得意なことも苦手なことも違います。
絵を描いたり、物を作ったりすることが好きな子は
3学期の作品展の方が楽しくて、
自分の力を存分に発揮できるでしょう。
好きなことが1人ひとり違うように、
自分の力を発揮できる場所も1人ひとり違います。
私たちも1人ひとりのお子さんの力が発揮できる
場所を見つけながら過ごしていきます。
保護者の皆様にも同じ気持ちで
過ごしていただけたら嬉しく思います。
園長 玉井史恵
2023.07.11
今年のマリア様の祝いの時に、
濱田神父様がこんな話を子どもたちにしてくださいました。
マリア様は誰のお母さんか知ってる?
との問いに「イエス様のお母さん!」
と答えたのは年長さん。
ここから先は短く話をまとめます。
そうマリア様はイエス様のお母さんとして
神様から選ばれました。
マリア様はとても良い人だったので、
神様の子どもとして生れる
イエス様のお母さんとして選ばれました。
でもマリア様の人生はよいことばかり
だったと思いますか?よいことどころか、
大変なことの方が多い日々でした。
イエス様を生んだのは病院のベットではなく、
馬小屋でしたし、その後も殺されそうになったり、
迫害されたり、
最後は我が子が十字架にかけられ殺される姿を
見届けなければなりませんでした。
マリア様のように、神様からもらったお仕事は
案外大変なことが多いのだよ。
だからもし皆さんが大変だなと思うことに出会ったら、
神様はどんなお仕事を頼まれたのだろうと
考えてみてください。と。
マリア様がどんな困難にも負けずに
イエス様を育てたと思っていましたが、
初めに神様がどんな困難にも負けない
マリア様を選ばれたのだと思いました。
そして神様がマリア様を選ばれたように、
私たちも、
『あなたにこの子を任せるよ、
あなただから任せたのだよ、あなたなら必ず大丈夫』
というメッセージと共に神様から選ばれ、
親としての仕事を仰せつかっているのだと感じました。
親としての仕事は大変です。
自分の時間を割いて子どものために
使わなくてはいけないし、
子どもが小さいうちは自分の時間が
欲しいとよく思ったものです。
また子育ては思い通りにはいかないことだらけ、
心配することも次々とでてきます。
親として見守ることしかできない
辛さや苦しみも経験してきました。
それでも私の人生に沢山の喜びを与えてくれたのも
我が子でした。
私の娘は30歳を超えましたが、
まだまだ親としての心配は尽きません。
私自身今でも親に心配されています。
皆さんもきっと同じでしょう。
親としての仕事には終わりがないのです。
以前ある神父様が、
恵(めぐみ)を多くもらった人ほど
神様に沢山使われて苦労も多いんだよ。
恵って大変なんだよ。と話されました。
マリア様の祈りも
恵あふれる聖マリア……
から始まります。
困難にあったときこそ神様の恵
とはなかなか思えませんが、
これから続く長い子育ての中で壁にぶつかった時に
この 『神様のお仕事』の話を
思い出していただけたらいいな~
と思いながら書いています。
私にしかできない神様のお仕事
私だからできる神様のお仕事
がんばりましょう!
園長 玉井史恵