園長月のお便り
  •  先日『博士ちゃん』というTV番組をつけていると、
    15歳の少年が出ていました。
    その少年は5歳の時に家族旅行で行った
    フィリピンの様子に衝撃を受け、
    その人たちを助ける人になりたいという思いをもったそうです。
    そしてその思いを実現するべく
    コツコツと自分にできることをやっているという
    内容が放送されていました。
    じっくり腰を据えて見ていたわけではないのですが、
    その少年の話を聞きながら、
    私が以前研修で行ったフィリピンのことを思い出しました。
    もう30年以上も前になるのですが、
    日本人の先生がフィリピンの現地幼稚園で働いていて、
    その園を神父様と共に幼稚園の職員が訪問したのです。
    首都のマニラでは子どもたちが信号で止まる車の窓を叩き、
    物売りをしてきます。
    でもガイドの方からは決して窓を開けないように言われました。
    買ってくれるとわかったら何十人もの子どもが群がってくるからと。
    何もできない自分に涙がこぼれました。
    また、ゴミ捨て場の山で、
    お金になりそうな物を拾っている子どもたちは皆裸足でした。
    子どもは働き手なので学校にも行かれないのだそうです。
    この私がみた光景とこの少年が見た光景は
    あまり変わっていないようでした。
     マニラからバスで10時間ほど行った村に
    日本人の先生は働いていました。
    そこの村人は、日本から行った私たちに
    今まで庭で走り回っていた鶏をさばいて“鳥がゆ” 
    を御馳走してくれました。
    鳥は卵を産む貴重な食料源、
    自分たちは鳥など食べられず
    日々の食事も満足に取れていないのに、
    見ず知らずの私たちのために
    その鳥を振舞ってくださったのです。
    申し訳なくて食べられないと断りましたが、
    好意を受けとらないのは逆に失礼だと現地の先生に教えられ、
    その鳥がゆ をいただきながら涙が止まりませんでした。
    生涯の中でこれ以上大きな愛の食事に出会うことはないでしょう。
     フィリピンでの様々な出会いの後、
    私たちにできることをしようと、
    マリア幼稚園の職員でお金を出し合い、
    フィリピンの子どもたちの里親制度に参加するようになり
    30年以上が経ちました。
    現在も2名の子どもの里親として支援を続けています。
    (その思いを受け継いでくれる先生方にも感謝です)
    誰かに支えられて大きくなった子どもたちが、
    また誰かを支える人に成長してくれることを願って…。
     博士ちゃんに出ていた少年にとっては、
    フィリピンで出会った人々が自分の隣人になり、
    フィリピンの村では、
    私たち日本からの訪問者が隣人として迎え入れられたのです。
    誰もが誰かの隣人です。
    隣人として受け入れられた喜びを感じ、
    受け入れた喜びを皆が持てるよになってくれることが、
    私たちの願いです。
    これからクリスマスに向かい、
    子どもたちと今まで以上に
    周囲の人に心を向けることを意識して過ごしていきます。
    私たち大人も誰かの隣人になれる喜びを
    一緒にわかちあいましょう。
    園長 玉井 史恵  

  • 1学期に実習生が来ましたがその中の一人は私の教え子で
    「先生にビシビシしごかれるのを覚悟できました」
    と実習を頼みにきました。
    (人ぎきの悪い…でも昔は皆厳しかったので無理もない…トホホ) 
    懐かしい思い出話をする中で 
    「よく叱られたことは覚えているけど、
    なんで叱られたかは覚えていない」というので 
    「年少の時はお弁当を食べたと言って、
    水道の所におかずをよく捨てたよね」
    「年長の時は、廊下の花瓶を落として逃げたよね。
    すぐに謝れば叱られなかったのに、
    逃げたから叱られたんだよね~」
    などなど沢山の思い出話を聞き終えた後
    「俺ってひどかったっすね」と苦笑い。
    「ひどかったのではなく、気が小さかったんだよね。
    そしてとっても優しかったのよ」
    と伝えると「そうっすかぁ~」と今度は照れ笑い。
    本人を目の前に怖かったと言い、
    まるで友達のように話してるのだから
    (他の実習生には到底できないでしょう)
    気の小ささはなくなったのでしょうか(笑) 
    実習が始まってからもずっと同級生とでも
    話しているかのようだったので、
    担当の先生に話し方は大丈夫かと聞くと
    「きちんとした言葉で話しています」
    と返答がありほっと胸をなでおろしました。(親心)
    子ども達一人ひとりに寄り添って話を聞く姿からは
    昔と変わらぬ優しさを感じ、
    「ほらほら 自分の脱いだ靴よく見て!」
    「これはダメでしょう」と
    子ども達にはっきりと伝える姿からは
    自信を持って臨んでいる姿を感じ、
    成長した姿に出会えたことがとても嬉しかったです。 
    きっとよい先生になることでしょう。
    また私の甥はマリアの卒園児ですが、
    幼稚園の卒園式でまっすぐ前を向いて歌えませんでした。
    恥ずかしくて、いつも斜め45度を向いて歌うのです。
    誰に何を言われてもできませんでした。
    その彼が今では音楽の教師です。
    「風の噂に先生になったと聞きましたが本当ですか」
    と当時担当だったNPIC(体操教室)の先生から、
    わざわざ私に電話が来たほどでしたから、
    その驚き様が想像していただけるかと思います。
     2学期は1年の中で一番長い学期ですが、
    子どもたちが園の中で安心して過ごせるようになり、
    いろいろなことにチャレンジできるようになる時期でもあります。
    運動会やクリスマス会など大きな行事もあります。
    そんな中で我が子の成長した姿を見るのは親として嬉しいことですし、
    どんな姿を見せてくれるか期待もすることでしょう。
    でも親が思い描いた通りに成長していかないこともあります。
     一昔前は、皆と同じ目標で、同じペースで、
    同じことができることが良しとされていましたから厳しさも増しました。
    できるかできないかの2択の時代もありましたが、
    今の教育はそうではありません。
    目標はあるけれど、一人ひとりが到達するための道も早さも違います。
    ですからいろいろな道を保障し
    その子に合わせて成長を助けていくことが、
    今求められている教育です。
    だから思っていたのと違っていても大丈夫なのです。
    子どもは成長する力を持っていますから。 
    周囲の温かい眼差しと適切な支援があれば。     
     園長 玉井史恵

  • 毎朝通勤する道で小学生の姿を多く見かけます。
    先日赤信号で止まった時目に入ってきたのは、
    閉まっているシャッターによりかかって
    まったりと座り込んでいる3人組の男の子。
    (1人は1年生のようでした)
    「何をしているのかな…?」
    歩行者用信号が青になると 
    慌てて立ち上がり横断歩道を渡って行ったのですが、
    1年生らしき子は靴を片方手に持ったままでした。
    『あれあれ 靴まで脱いで座り込んでいたのか…
    親が見たら嘆くだろうな~』と思いながら、
    どうするのか気になって見ていると
    ずっと靴を持ったまま歩いているではないですか、
    あの子はいったいいつ靴をはいたのでしょう…。
     また別の日には
    信号待ちで道路に寝転んでいる小学生もみました。
    子どもの行動は予測不可能、
    でも本当に面白いです。
    そんな毎朝の風景の中、
    今一番嬉しいのは卒園した1年生に車越しに合うことです。
     私の車を見つけると、
    いつも満面の笑みで遠くから手を振ってくれ、
    私の車が赤信号で止まっている時は、
    「いってきまーす」と元気にあいさつもしてくれるのです。
    少しの時間差で会える日と会えない日があるのですが、
    その満面の笑みに出会えると
    今日もがんばろうと心の底から元気が湧いてきます。
    言葉では説明しきれない不思議な気持ちなのです。
    笑顔には本当に不思議な力があると思います。
     私の娘がまだ小学生の頃娘に「お母さん怒ってる?」
    と聞かれたことがあります。 
    怒っていたわけではなかのですが、
    何か無表情だったのだと思います。
    子どもって親の顔をよく見ています。
    (同じように先生の顔もよく見ています)
     幼稚園でも子どもは不安な時ほど先生の顔を見ます。
    そんな時言葉を交わさなくても笑顔でうなずいてあげるだけで、
    子ども達はまた自分の遊びや活動に戻っていきます。
    笑顔から大丈夫という安心感をもらっているからでしょう。
    《大好きなお母さんが無表情で赤ちゃんの顔を見つめているとどうなるか》
    という実験をみたことがあります。
    無表情で見つめられた赤ちゃんはほぼ全員泣くのです。
     それくらい子ども達にとって笑顔は大切なものなのです。
    でも笑顔ばかりではいられない時だってありますよね。
    それはそれでいいんです。怒った顔、悲しい顔、困った顔、
    人には感情があるということを学ぶ上で、
    いろいろな表情を見せることはとても大切なことです。
    皆さんも子どもたちの笑顔を見ると元気がでるでしょう。
    子どもだって同じです。
    身近な人から笑顔をむけられたら安心して元気がでるのです。
    子どもも大人も暑いだけでイライラしがちなこの季節。
    心に余裕がない時ほど「笑顔!」を心掛けてみましょう。
    時間もお金もいかかりませんね。
    目を見てだまってニッコリするだけでよいのです。
    その笑顔で皆の心に元気が宿ります!
     園長 玉井史恵 

  • 泣いていた子どもたちが少しずつ落ちついてくるこの頃。
    そして初めは頑張って泣かずに過ごしていた子どもたちが、
    ふっと力が抜けて泣けるのもまたこの頃です。
    新入園児さんは、今まで家庭の中で好きなものを
    自由に使って遊んでいたのに、
    誰か知らない子におもちゃを取られる。
    やだっていったら叩かれた!
    靴を履く時「待っててあげるから頑張って」と言われる…
    (待たないで手伝って欲しいのに!)
    大人にとっては小さなことでも、
    子どもにとって知らないこと、初めてのことは一大事。
    そんな一大事が次々にやってくるのが集団生活、幼稚園です。
     さて皆さんは 『夏と言われて何を想像しますか』 
    私は大好きな‘すいか, です。
    他の先生にも聞いたところ 
    ‘暑い, ‘ひまわり, ‘プール, ‘花火, 等皆違いました。
    『それはそうでしょう 皆違って当たり前』と思いますよね。
    子どもたちも同じです。
    同じものを見ても聞いても感じ方は違います。
    それぞれがそれぞれの思いをもっていて同じではない。
    だからぶつかることもあるし、
    喧嘩をして1度で納得する子もいれば、
    なかなか納得できなくて解決するまでに時間のかかる子もいます。
    一つのことを習得するのに さほど時間のかからない子もいれば、
    何度も何度も繰り返して自分の物にする子もいます。
    鉄棒や縄跳びなど「どうせできないからやらない」
    と言っていたのにいつのまにかやっていた。
    叩かれたと大泣きしていた子が、
    「ごめんね」の一言で一瞬にして
    「いいよ」と笑顔になり。
    こちらの方が『えっ!?いいんだ?』と思うこともしばしば…。
    いつもけんかをするのになぜかすぐにまた一緒にいる。
    (少し離れていればいいのにと思うのは大人の思い?)
    幼稚園は子どものいろいろな思いが行きかっています。
    今月号には、4月の子どもたちの様子を見て、
    今年の子ども達にとって必要な力はなんだろう、
    今年の子どもたちとはどんなふうにやっていくのがよいのだろうか。
    と各学年が考えたことを載せてあります。
    目指している所は同じでも、
    子どもの気持ちが1人ひとり違うので、たどる道も一人ひとり違います。
    道が違うのでかかる時間も違います。
    でもその時間を十分に保証してあげられるところが幼稚園です。
     はじめの一歩から伸びている道は1本道ではありません。
    いろいろな道です。大人が望んだ道とは違うかもしれません。
    大人には無駄に思える時間、登ったり下ったり、
    遠回りをしながらその間に育っていくのです。
    タイパ(タイムパフォーマンス)で子どもは育ちません。
    どうぞそのことをわかってあげてください。
    そして、じっくり子どもの気持ちを想像しながら
    大人が引いた道ではなく、
    子どもたちが歩む道を一緒に楽しんでみましょう。                         
    園長 玉井史恵  

  • 3月31日に 最後の年長さんを玄関で見送り、

    『これで1年が終わったな~』と

    感傷にひたったのもつかの間、

    翌日には小さい小さい未満児さんが

    保護者の方々に抱かれて登園し、

    賑やかな泣き声と共に新年度がスタートしました。

    地震や紛争で悲しいニュースが流れる中、

    無事に1年を終え、また穏やかに

    新たなスタートができることに感謝して、

    新年度を迎えたいと思います。

    さて、1日から未満児クラスがスタートしましたが

    3日目ともなると、置いていかれることを察知した子ども達は

    玄関から渋い顔、泣き顔、頬にはすでに涙が乾いた後…。

    また、部屋では泣きながらもお家の方に

    手を振るけなげな姿も…。

    どの子も新しい生活を受け入れるために、

    精一杯頑張っている姿です。

    在園児として進級した子どもたちも

    園に慣れているとはいえ、担任も部屋も替わり、

    響き渡る泣き声の中 不安な気持ちでいると思います。

    泣いている我が子を預けていかれる

    保護者の皆様も後ろ髪をひかれる思いで

    おられることでしょう。

    今保護者のもとを離れた子どもたちは

    私たちの顔をまばたきもせずに

    じーっと 見つめています。

    (穴のあくほどとは、こういうことなのかと実感しています)

    見つめながら「この人は誰なのだろう」

    「この人と居て大丈夫なのだろうか」

    「自分にとって害のない人なのだろうか」

    と見定めているのでしょう。

    そして大丈夫と思ったときにはじめて笑ってくれます。

    こうやってはじめの一歩を踏み出すために

    頑張っているのです。

    これからスタートする年少さんも

    一足遅れて同じ姿が繰り広げられていきます。

    子どもたちにとっての  はじめの一歩 は、

    親にとっても はじめの一歩 です。

    はじめの一歩を踏み出すためには

    本当に大きなエネルギーが必要です。

    そして子どもたちのエネルギーの基は

    『保護者の皆様の元気』と『大丈夫なんとかなる』

    というおおらかな心だと思います。

    以心伝心とはよく言ったもので

    保護者の方々の心に元気がないと

    それは必ず子どもたちに伝わります。

    不安な気持ちも、イライラした気持ちも同じです。

    子どもの心は本当に敏感です。

    でも大人だって新しい一歩の中で落ち込むことや、

    悩むことがありますよね。

    そんな時は一人で頑張ろうとしないでください。

    いつでも職員を頼ってください。

    話すことで心が軽くなることもあります。

    頼ることも大切な生きる術です。

    お友だちに出会う、先生に出会う、新しい出来事に出会う、

    これから出会う一つひとつのことが

    子どもたちを育ててくれます。

    私たち大人も子どもたちを通して様々なことに出会います。

    今しかないこの時を一緒に楽しみながら過ごしていきましょう。

    1年間どうぞよろしくお願いいたします。

    園長 玉井史恵

  •  今年度も残すところあとわずかとなってしまいました。

    始業式の日に年長さんが卒園式までの登園日数を数えたところ

    45日だったそうです。

    長いと思っていても月日の経つのは本当に早いものですね。

    2学期の終業式に

    年末のあいさつは 「良いお年をお迎えください」で、

    新しい年になったら「あけましておめでとうございます」

    というあいさつをするのよ。

    ということを伝えました。

    終業式の降園時 あちこちで「良いお年を」

    という覚えたてのあいさつが飛び交っていました。

    そして迎えた新学期、登園してくると

    「園長先生 あけましておめでとう」と

    気持ちよく声をかけてくれた子どもたちが大勢いました。

    始業式でもお聖堂に集まった子どもたちと

    「あけましておめでとうございます」とあいさつを交わし、

    「お家でも あけましておめでとう とあいさつをしたかな」

    と聞いてみると「したよ!」という多くの声に混じって

    「あっ!忘れた~」という声がちらほら。

    そんなはずはないでしょうと思いましたが、

    そう言えば、「あけましておめでとう」

    とあいさつをしたら「ありがとう」と

    返してくれた子がいました。

    やっぱりお家で正月のあいさつをしていなかったのかな~?

    昨年 小学校1年生の参観に行った時、

    朝は「おはようございます」帰る時は「さようなら」と

    教科書を使って授業が行われていて、

    あいさつって 教科書で勉強する時代になった!と、

    とてもおどろきました。

    子どもたちは周りの大人があいさつをしているのを聞きながら、

    家族とあいさつを交わしながら覚えていくものという

    時代ではなくなってしまったのでしょうか…

    そう思う私が時代遅れなのでしょうか…。

    時々 入園したての年少さんに

    「おはようございます」と声をかけると「うん!」と返事が返ってくることがあり、「うんではなくて、○○ちゃんもおはようと

    言ってみて」と教えることが度々あります。

    先日大学の先生からも

    『最近あいさつのできない学生が増えてきて、

    しっかりあいさつを教えてから

    実習に出してくれと幼稚園から叱られることがある

    〈あいさつあいさつをきちんとする〉と

    教えるだけでは伝わらない。』

    という嘆きの声を聞きました。

    みなさんは 家族の中で

    「あけましておめでとうございます」と

    あいさつを交わしましたか?

    毎日「おはよう」「ただいま」「おかえり」

    「いただきます」「ごちそうさま」「おやすみ」

    等のあいさつを交わしていますか?

    育てたように子は育つ、

    その子どもはまた親になって同じように

    子育てをしていくのです。

    あいさつは人間関係の基本となる大切なこと。

    幼稚園でもやっていますが、

    それぞれのご家庭でも意識して

    あいさつを交わしていきましょう。

    園長 玉井史恵

  • 今年もまたクリスマスの季節が巡ってきました。

    毎年クリスマスが近づくと、

    子ども達とどんなことを大切にして

    待降節を過ごしていきたいか先生方と考えています。

    今年は、神様が創られた世界、

    神様からのメッセージを子ども達に

    伝えるところから始めようということになりました。

    皆さんは天地創造のお話しをご存じでしょうか、

    (後に載せますので読んでみてください)

    すべてのものをよいものとして創られた神様は、

    最後にご自分に似せて人間をお創りになりました。

    そして 神様は「私が創ったものを大切にしなさい」

    とご自分がお創りになったものを人間に任されました。

    これが神様から私たちへのメッセージです。

    皆さんは魔女の宅急便の映画の中で流れている

    松任谷由美さんの、『 やさしさに包まれたなら 』を

    ご存じでしょうか?

    松任谷由美さんは

    カトリックの幼稚園に通っていたそうで、

    この歌詞は自分の幼稚

    園時代の経験が元になっているのだそうです。

    子ども達に話しをするタイミングで

    この話を司教様からお聞きし、

    改めてこの歌詞を読んでみました。

    この歌の中の 「♪目にうつるすべてのことはメッセージ♬」

    という歌詞は、

    私たちが出会う人々や出来事はすべて神様からの

    『 大切にしてね 』 のメッセージが

    込められているのだなと思いました。

    話は変りますが、

    私たちは年間多くの研修を受けています。

    一般の研修会では、参加者がグループに分かれて

    話し合いをすることを、

    分散会とかグループ討議などと言います。

    けれども同じことをカトリックの研修会では

    『 わかち合い 』といいます。

    ここには知識を学ぶだけではなく、

    相手の思いを知って心で受け止める、

    たとえ自分と同じ思いでなくても、

    あなたはそう思うのねと心を通すことが

    『わかち合う』ということなのだと思います。

    ここにも相手を思いやる

    大切にするという思いが

    込められていると思います。

    子ども達はそれぞれのクラスで、

    周りの人や物を大切にするって

    どんなことができるだろうと考えながら過ごしますので、

    ご家族の皆様は子どもたちが、

    何かを大切にしている姿を沢山見つけて

    「神様喜んでいるね」と一緒に喜んであげてくださいね。

    そして私たち大人も子ども達と一緒に

    神様のメッセージに心を向けてクリスマスを

    迎えられたらいいですね。

    園長 玉井 史恵

  • 夏休み中に数名の職員と共に

    カトリック幼保連盟の全国大会の研修会に参加してきました。

    全国各地からカトリック園で働く

    500名ほどの先生方が集まりました。

    神父様の話やドクターの話など様々な分野で研修を

    受けてきましたが、

    その中から少しお話ししたいと思います。

    長い間急性期の新生児医療の現場にいたという

    ドクターが 私はカトリック信者ではないけれど

    『新生児』という言葉は

    本来は『神生児』という言葉が相応しいとおっしゃいました。

    神の御業なくして命は誕生しないと感じられたそうです。

    胎児の神秘、神生児の神秘、出産の神秘、

    について具体的に教えてくださいました。

    専門的すぎてお伝えできないのが残念ですが、

    誕生するまでにこんなにもすごいことが

    起きているのだと驚きました。

    またある神父様は、

    『命は神様からの寄付』だと言われました。

    (寄付という言葉の意味は

    自らの意思で金銭や品物を無償で提供すること とあります)

    神生児と言う言葉とのつながりを感じました。

    世の中に人材バンクというものがありますね。

    人材とは役に立つ人物、

    才知ある人物という意味だそうですが、

    神様は人材を育てるためではなく、

    一人ひとりにそなわった良心(神様の声)を

    育てるために命をくださいました。

    見えるものに目をそそぐのではなく、

    見えないものに目をそそぐことこそが

    良心を育てることにつながっていくと言われました。

    そしてその基礎となるものが愛されて育つということです。

    医学界でもそれは同じで

    愛着という言葉で表されています。

    (愛着とは 時間、空間を隔てても永続的に持続する結びつき)

    これが子どもたちの生きる基礎となる。

    大勢の子どもたちを診療してきた医師が

    愛着形成こそが子ども達の発達を支える土台となる。

    だから乳幼児期は 教育よりも 響育・共育 が

    大切なのだと言っておられました。

    また、ハグは抱かれている人が

    「幸せ」「喜び」「楽しみ」というものを受けるのではなくて、

    本当は抱いてやる人が安心や幸せや喜びを感じる

    ホルモンが出るそうです。

    子どもたちがぎゅ~と抱きついてきてくれた時の幸福感。

    これは日々実感しているので私にもよくわかります。

    皆さまも同じではないでしょうか。

    どうしてよいか分からなくなったら、

    ただ黙って抱きしめる… それだけでよい。

    ‘‘ハグは百薬の長なり‘‘ だそうです。

    カトリックでも医学でも大切なことは同じでした。

    ちなみにハグとは…

    『身も心も含めて受け入れ、抱きしめてやること』

    だそうです。受け入れるに心を足すと愛になりますね。

    心を込めた沢山のハグで子どもたちに愛を届けていきましょう。

    園長 玉井 史恵

  • 6月の第一土曜日に、岡谷にある聖母幼稚園で、

    長野県のカトリック幼稚園、保育園の先生方の

    研修会がありました。

    会場が私の母園ということで

    この研修会をとても楽しみにしていました。

    (父の転勤で幼稚園卒園までの3年間だけ岡谷に住んでいました。)

    50年以上ぶりに園の前に立ってみて、

    (園舎は新しくなっていましたが)

    『毎日母と一緒にこの道を歩いたこと』

    『通園途中にあったちいさな駄菓子屋さんを

    道端から覗くのが楽しみだったこと

    (買ってはもらえないんです)』

    『仲良しの友だちの家が園の隣にあったこと』

    『親子遠足の時、母がお産で動けなくて、

    近所のおばちゃんが一緒に行ってくれたこと』

    いろいろな思い出がよみがえってきました。

    どれも大した出来事ではありませんが、

    懐かしさとともに心がじんわりと

    幸せな気持ちに包まれました。

    幸せだった私がそこにいたからです。

    さて、皆さんは子どもの頃の幸せな

    記憶はありますか?皆さんのお子さんの中にも

    幸せの記憶が刻まれているでしょうか?

    以前こんなことがありました。

    幼稚園に来ることが嫌になってしまったお子さんが、

    1週間頑張って幼稚園に来たら何かご褒美をもらえるという

    約束をしました。

    1週間後約束通りご褒美をもらえることになりました。

    お母さんはとても張り切って、

    いつもは行かない少し遠くの

    楽しそうな公園に連れて行ってくれました。

    でもその子はそんなに喜ばなかったというのです。

    よく聞くと『家でお母さんとカルタをしたかった』

    のだとか。子どもの思いを知ることは簡単なようで、

    難しいこともあると教えられた出来事でした。

    でもそのお子さんはご褒美がなくても

    幼稚園に来られるようになりました。

    お母さんがその子のために何をしてあげようか考えて、

    一緒に遊んでくれたという愛を感じたからだと思います。

    同じようにご褒美をもらうという約束をしたお子さんがいました。

    その子のご褒美は物を買ってもらうことでした。

    1週目は頑張ってご褒美に好きな物を買ってもらいました。

    でもそのお子さんは、2週目はもう続きませんでした。

    物では子どもの心を満たせなかったということです。

    今の時代は物にあふれています。

    欲しいものは大抵我慢せずとも手に入ります。

    でも、ずっと我慢して手に入れたとか、

    沢山お手伝いして買ってもらったとかでない限り、

    物から得る喜びはその時だけのものだと思います。

    私たち大人もそうではありませんか。

    子どもたちの心の中に残るものは、

    やはり人との関わりの中で生まれるものだと思います。

    幸せの記憶は物では刻めないのだと思います。

    お仕事で忙しい方が多いと思いますが、

    今子ども達が求めていることに心を向け、

    お子さんのための時間を一緒に過ごしてあげてください。

    時間の長さではありません。

    1日の中で少しでもお子さんと向き合い、

    顔を見ながら会話をしていますか?

    小さなことでいいのです。

    この夏、ぜひ

    『ものより思い出』 の時間を過ごしてみましょう。

    園長 玉井史恵

  • han0205-049[1]

    入園から1カ月、

    新入園のこどもたちも毎朝、

    御像の前で「イエス様マリア様おはようございます」

    と手を合わせています。各お部屋でも朝の祈り、

    昼の祈り、帰りの祈り 一日の中で様々な祈りがあります。

    また年長さんは毎日のようにお聖堂にきて、

    食べ物のないお友だちの為に祈ったり、

    休んでいるお友だちのために祈ったり、

    自分のことよりも、

    周囲の人のために祈ってくれる姿がとても多く、

    やはり神様の一番近くにいるのは

    こういう子どもたちなのだなと感じています。

    日本人は生まれた時は神社で、

    結婚式は教会で、お葬式はお寺で、

    本当の信仰はどこにあるのか

    という記事を目にしたことがあります。

    日本にも沢山の宗教がありますね。

    我が家も、私の祖母は天理教を信仰していて、

    叔父はプロテスタントの牧師で、

    私はカトリックです。

    そんな中、娘が小学生の時、

    『どうしていろいろな神様がいるの?どの神様がいいの?』

    と聞いてきました。

    返答に困った私は当時お世話になっていた

    清永神父様にそのまま問いかけました。

    神父様は『山登りを想像してみて、

    頂上に行くために道は一つではないでしょう。

    いろいろな道を通って頂上を目指していくのと同じだよ。

    いろいろな宗教の道を通っても、

    たどりつく神様は一人なんだよ』とお話してくださり、

    とても腑に落ちました。

    だから子どもたちも家の仏壇や神社やお寺で

    「父と子と…アーメン」と祈ってもいいのです。

    神父様の話をいろいろな時にお聞きするのですが、

    「カトリックでは祈りは

    すぐに結果が表れるものではありません。

    今私たちが生かされているのは、

    ずっと昔に祈った人の祈りのお陰かもしれません」

    という話がとても心に残っています。

    またある神父様は

    「祈る前から神様は私たちの心の中をご存じです。

    だから素直に祈れない時はそのままの

    自分の気持ちを神様にぶつけていいのです」

    とも言われました。この言葉も私の心を楽にしてくれました。

    そして「私たちは神様のご計画の中で

    生きているので、自分の思い通りにならないことも

    沢山あります。でもそれは神様が、

    今私に必要なこととして与えてくださっているものです。

    だからこの困難や苦しみを取り除いてください。

    と祈るよりも

    『困難を乗り越える力を与えてください』

    『私が苦しみを乗り越えられるように、一緒にいてください』

    と祈りましょう」と話されました。

    この言葉もまた私の支えになっています。

    苦難に直面した後、ずっとずっと後になって、

    あの時の経験が役にたったと思ったことはありませんか。

    私はそういうことが沢山あります。

    今私たちが経験していることに

    なにひとつ無駄なことはないのだと感じています。

    それは子どもたちにとっても同じです。

    今新しい環境の中で

    不安な気持ちを抱えているお子さんもいますが、

    新しい環境に慣れようと毎日一生懸命過ごしています。

    このような小さな山を乗り越えながら、

    様々な環境に適応する力が育っています。

    この状況を取り除いてくだいと祈るのではなく、

    子どもたちに変化を乗り越える力を与えてください。

    私に子どもを支える力を与えてください。

    と一緒に祈っていきましょう。

    園長 玉井史恵

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