2017.05.01
マリア様のこころ 園長 湯本 美奈子
入園式から1ヶ月が経とうとしています。
今年からすぐに平常保育となりましたので、かえって進級児はゆったりと
いつものリズムで過ごすことができ、お花見散歩や園庭での自由遊びを満喫することができました。
家庭訪問や懇談会もお忙しい中、時間を割いていただきましてありがとうございました。
さて、カトリック教会では5月を『聖母月』として、イエス様の母であるマリア様に倣い
尊敬と思慕の念とともに、神様に取次ぎを願いながら祈ります。
5月はちょうど『母の日』もあり、いくつになってもお母さんは大好きで懐かしく、
心から感謝したい気持ちになりますね。
マリア様はイエス様のお母さんであって、もちろん神ではありませんが、
イエス様が初めて奇跡を行ったのはお母さんに頼まれたからでした。
一番下に、ヨハネ福音書の2章~〝カナでの婚礼″の箇所を載せました。
その頃の結婚式というのは、大家族制度の中で何日も祝宴が続いたそうです。
ですからそこでの飲食の量も半端ではなかったはず。
きっと沢山用意して、もてなしたのでしょう。
ところがメインのブドウ酒がなくなりかけます。これは大失態です。
最近では『飲み放題プラン』の結婚式が多いので心配ありませんが(笑)
当時大人数のブドウ酒を急に集めるなどというのは、至難の業だったに違いありません。
当然文句が出るであろうし、それこそ末代まで語り継がれるかもしれません。
マリア様は招かれていた側ではありましたが、様々なことを思い巡らし、
イエス様に頼むしかないと思われたのだと思います。けれどイエス様は、簡単に断りました。
にもかかわらずマリア様は、給仕たちに「この人の言う通りにして下さい。」と言いました。
息子イエスに対する絶対的な信頼です。
そしてその信頼に、息子イエスが応えます。
かめに口元まで入れられた水は600ℓ以上、厳密に考えればコップ一杯ずつ飲んでも
3,000人以上が飲めるほどです。とにかく山ほどの量の上等なブドウ酒に変わりました。
その上、マリア様もイエス様も「私がやりました!」なんて一言も言いませんし、
それを見たほんの数人しか水がブドウ酒に変わった奇跡を知りません。
他の人は信じないでしょう。
マリア様の願いはわがままではなく、愛そのものによるものでした。
そして母の願いを聞き入れて下さったこれが、イエス様の行った最初の奇跡です。
ですから私たちは『アベマリアの祈り』を唱える時、お母さんであるマリア様にも、
私と一緒に祈って下さい、神様にお願して下さいと思いながら、加護を願うのです。
さぁ、私たちの親子関係はどうでしょうか?
幼いほど、子どもは母に絶大な信頼を寄せるものです。
日々の関わりは、信頼関係を築くに相応しいものでしょうか?
この子ならきっとこうするに違いないと、我が子を信じて待つことができる親は幸せです。
自分を心から愛してくれているのはお母さんだと確信できる大人に成長できる子どもは幸せです。
信頼関係は一朝一夕に築けるものではありません。
こんな私を母にして下さったことに感謝しながら、
良い母親に育てて下さいと祈りながら過ごしましょう。
カナでの婚礼 ヨハネによる福音書2章1節から
三日目にガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちもその婚礼に招かれていた。ブドウ酒がなくなりかけたので、母はイエスに「ブドウ酒がありません」と言った。すると、イエスは母に、「婦人よ、このことについて私とあなたとは、考えが違います。私の時はまだ来ていません」とお答えになった。母は給仕たちに、「なんでもこの人の言うとおりにしてください」と言った。さて、そこにはユダヤ人の清めに用いる石の水がめが、六つおいてあった。いずれも80ℓないし120ℓ入りのものである。イエスは給仕たちに「かめに、水をいっぱい入れなさい」と仰せになった。彼らは、水がめをふちまでいっぱいにした。イエスが、「さあ、それを汲んで、世話役のところに持っていきなさい」と言われたので、彼らはそれを持って行った。世話役は、ブドウ酒になったその水を味わってみた。水を汲んだ給仕たちは、事の成り行きを知っていたが、世話役は、それがどこから来たかを知らなかったので、花婿を呼んで言った。「誰でも初めに良いブドウ酒を出して、酔いのまわったころに、質の落ちるものを出すものですが、あなたは良いブドウ酒を今までとっておかれました」。このことを、イエスはしるしの初めとして、ガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。