2016.05.31
神の愛と自然体験 園長 湯本 美奈子
10年ぶりのバス遠足は好天に恵まれ、久しぶりに自然の中で楽しいひと時を過ごすことができました。
大勢の皆様にご参加いただき、ありがとうございました。
さて、これからは豊かな恵みの雨によって自然の営みが活発になる6月を迎えます。
特にこの月は『聖心(みこころ)の月』といって、イエス様の愛と慈しみの心に倣い、
実践していく月でもあります。前園長の秋元神父様は、自然を創造された神の愛に気づくために
園外保育を始めました。十三崖の洞窟探検や、河原でのなめこ汁、鴨ヶ岳の崖登り、
上林スキー場へソリ滑りにも出かけました。夜間瀬スキー場へ公共バスを使って行き、
山の上に到着した途端、地バチの巣を踏んで大騒ぎになったこともあります。
園内の環境とは異なり、自然に触れるだけで子どもたちは様々な発見や感動をもらい、
心身ともに力をつけていきます。
よく行く北竜湖では、子どもたちは湖に『竜』が住んでいると思っているらしく、
湖が波打ったりすると「ほらあそこにきっと竜が顔を出すんだ!」「きゃ~!」なんて大はしゃぎ。
「湖の色は水色じゃないね。」「山の木の色が映っているから緑なんだね。」・・・などと、
子どもたちは豊かな想像力で、匂い、色、触感、形、音などから敏感に感じ取り、楽しんでしまいます。
園外保育のよさは、本物の体験を通して感性を育てること。それは言うまでもありませんが、
嫌なこと、面倒くさいこと、汚いこと、苦しいことを克服(大げさ?)することによって、
達成感を味わえることでもあります。
今や家庭でもひねる水道の蛇口が消えつつあり、蛇口の下でただ手をかざして水が出るのを待つ子、
手ですくって水が飲めない子、トイレのないところで用を足せない子、
虫がシートに這ってくるだけでパニックになる、山や崖を登る時何かにつかまる事ができない、
坂道で重心が取れない、よく転ぶ、転んだ時にすぐ手が着けない、すぐに疲れたと言う・・・
文化的な生活がそうさせたのかもしれませんが、全て経験不足からくるものです。
大人も子どもも、辛い思いや我慢する機会がめっきり減りました。
山登りの経験のある人は、登頂の感激の前には辛い道のりがあることを知っていますね。
ロープウェイで簡単に登った山はすぐに忘れても、苦労して自分の足で登った山を忘れる人はいないでしょう。
私は、主人と結婚前に何も聞かされずに登った『死ぬ思いの戸隠の蟻の塔渡り』を一生忘れません。
知っていれば登らなかったでしょう。(笑)けれど何にも変えがたい素晴らしい経験でした。
でもそれは登った人にしかわかりません。
以前年長さんと鴨が岳に登っている途中、女の子が「先生、何で私たち、
こんな思いしなくちゃならないの!」と抗議しました。頑張れ頑張れと言いながらお尻を押し、
やっとの思いで頂上まで登った時、眼下に中野市が開けマリア幼稚園の屋根も見えました。
その時その子が「先生私、今まで生きてて良かった~!」と言ったのです。
みんな大笑いです。大げさかもしれませんが肥満気味の彼女にとったら、
難なく登れた他の子より、ずっとその景色には価値があったのだと思います。
苦労が多いほど感動も大きいものです。
暑かったり、苦しかったりすることも、友だちや先生と一緒に経験したことは、
大人になっても忘れられない、幼稚園での大切な思い出になります。
そして神様が創ってくださった自然と共存し、大切にすることは、
私たち一人ひとりを大切にする生き方にも通じていくのです。