2016.12.09
『マルタとマリア』 園長 湯本 美奈子
日の暮れるのも早くなり、朝晩の冷え込みも一層強まってきました。
気が付けば今年もあと少しで終わり。
そしていよいよクリスマスの季節がやってきました。
毎年待降節に入ると、子どもたちはイエス様にふさわしいプレゼントをと、
心と体で一生懸命考えて準備していきます。
心のプレゼントは、大人が率先して手本を示さなくてはいけないのに
「偉いね」とか「よく頑張っているね」とか「イエス様も喜んでいらっしゃるよ」
と、他人事のような言葉をかけていることに気づくことがあります。
自分はというと、年末が近づくにつれ『忙しい』『間に合わない』『疲れた』
『ストレスが溜まる』・・・そのうちに『私はこんなにしてやってるのに!』
と不満が募り、苛立ちを隠せず、情けない自分にガッカリします。
『ルカによる福音書第10章38節』に〝マルタとマリア″という福音があります。
読んでみると、自分はどちら側の人間か大体見当がつきます。
私は完全に〝マルタ″です。
じっとしていることができないし、考えるより先に体が動いてしまうし、
良かれと思ってこんなに気を働かせているのに、どうしてあの人(夫?)は
何もしないんだろう!とイライラすることがよくあります。
「あ~、またマルタだ」と。でも神様は、マリアのしていることを『善し』
としてマルタを『否定』しているのではありません。
本文だけを読めば、マリアの方が〝得だ″マルタは一生懸命やっているのにひどい!
と思ってしまいます。
けれども神様は「マルタ、マルタ」と2度名前を呼んで下さっています。
それほどにマルタに愛情を込めてお話しされました。
そして「あなたは多くのことに心を配り、思い煩っているが」と言われる、
まさにそこが大切なところなのです。
私たちが聖書を読むとき、つい比べてしまったり、自分の価値観で
判断してしまいがちですが、どちらも自分に当てはまることがあることを
自覚しなくてはいけません。
イエス様をもてなすためにマルタのしていることは大切なことです。
けれどもマリアも心でイエス様をもてなしています。
それぞれの立場で働いているのですが、マルタは「マリアだけズルい。私ばっかり・・・」
のような、凡人の私にもよ~く分かる気持ちで悶々としていたのでしょう。
その時、「私には私にしかできないことがある。それを心を込めて喜んでしよう。」
というマルタの思いと、マリアにも「お姉さん、ありがとう」の一言があったら、
マルタは思い煩い、イライラすることはなかったのだと思います。
認めてもらったり、受け入れたもらったり、感謝されたりすることで、
いくら体が忙しくても人は充実するものです。
そしてそのことで自分に自信が持てたり、頑張ろうと意欲が湧いて来たり、
乗り越える勇気が持てたりするのでしょう。
大人でも子どもでも同じです。
自分にできること心を込めてする。
相手の気持ちに寄り添いながら感謝の気持ちで接する。
そのことを意識すれば、クリスマスも年末年始も、豊かな気持ちで
過ごすことができるでしょう。
まずは子どもたちにお手本が示せるよう頑張りましょう。