園長月のお便り
  • DSCN8721
    『祈りは会話』                   園長  湯本 美奈子

     今年の夏は驚異的な暑さで日中は息をするのも大変でしたが、ここにきて急に寒くなってきたので、体が付いていけない状況です。風邪や発熱するお子さんも増えてきました。栄養や休養をしっかり摂り、健康的に乗り切りましょう。
     さてカトリック教会では10月は『ロザリオの月』、11月を『死者の月』と定め、聖母マリアの取り次ぎを願い、家族、親戚、知人そして全ての亡くなられた人の安息を願って祈ります。私事になりますが、母がすい臓がんで他界して5年が経ちました。普通に元気でいたのに癌が見つかってからは急に弱っていき、発見から3か月、あっという間でした。その間家族や孫、ひ孫、兄妹や姪甥が毎日引きも切らずに見舞ってくれ、薬のおかげで痛みもなく、私も終末は病院で寝泊まりしていましたが最期は手を握りながら穏やかに、静かに旅立つ母を看取ることができました。母は胃潰瘍、肝炎、乳がん、突発性難聴、繊維筋痛症・・・あらゆる病気と闘ってきました。その度に痛みはもちろん『何故自分ばかり・・・』とか『死ぬかも知れない・・・』という苦しい思いや恐怖がずっとあったと思います。それなのに母は私に「どうしてそんなに悲しむの?私はこんなに長生きできると思わなかったよ。子どもたちが良い子に育って、今までも幸せで、思い残すことは何もないのよ。ありがとう」と言って一度も愚痴をこぼしませんでした。健康だった私は、母の深い苦しみを理解し、癒してあげることができなかったのに、母は亡くなってもなお、私の傍にいて限りない愛と勇気を与えてくれています。 私は幸せ者だと思います。
     自宅にも実家にも仏壇があるので、祈りながら亡くなった舅や母と話をする機会が増えました。実家の両親はずっとお念仏を唱えていたので「無上甚深微妙法、百千万劫難遭遇、我今見聞得受持・・・」など覚えてしまいました。(笑)    私はカトリックの洗礼を受けていますが、神様はきっとそんな私の姿をも、喜んで下さっていると信じています。亡くなった人の為に祈ることは、宗派や形ではなく、『愛を込めて会話する』ことではないでしょうか?祈っていると舅も母もいつもそばにいて、家族の幸せを執り成して下さっていることを感じ、安心します。そしてその祈りは、天の神様に繋がっていると信じています。信仰は、人が幸せに生きるための、又試練を乗り越えるための力や慰めとなるもので、神さまは『こうしなければ不幸になる』とか、『たたる』とか、重荷を負わせる方では決してありません。
     この季節、生き生きとした夏の緑も色を変え、代わりに実りの種や実をつけ、葉を落とします。人の一生も自然の移り変わりと同じように、その時々に使命をもって、輝きと深みを増していき、終末を迎えます。普段は仕事や家族と関わる忙しい生活の中で、なかなか亡くなった方を思い出して祈るということが少ないかもしれませんが、今歓声をあげて遊び込む子どもたちの幸せは、多くの父母から辿った先人のおかげであることに感謝しながら、全ての亡くなった方々のために、祈りながら過ごしましょう。

  • ききょう
    『人間力(にんげんりょく)を育てる』                園長  湯本 美奈子
    梅雨が長く、冷夏?とまで言われたのに今年の夏はまた格別に暑かったですね。
    残暑も心配ですが、行事の多い2学期も健康管理に努めながら元気に過ごしたいと思います。
     
     今年は岡山県でカトリック教職員研修会がありました。
    幼稚園からバスをチャーターし、9時間かけて参加した甲斐あって、北海道から沖縄まで
    800人近い参加者と共にカトリック教育の基本を分かち合うことができました。
    私の分科会は『豊かな人間力を育む幼児教育の実践』がテーマでした。
    誰でも、いい時はいつも幸せですが、うまくいかない時、不遇の時は苦しみます。
    でも落ち込んでばかりいないで、その原因や意味を考えながら耐えられる力、
    乗り越えられる力が『人間力』だと言われました。
     母親のほとんどは、我が子に愛をもって接することに喜びを感じながら子育てをしています。
    喜んでいる“あなた”のありのままの姿を嬉しい、愛しいと思い、
    失敗したり悲しんだりしている“あなた”に共感し、寄り添いたいと思いながら関わっています。時々、人と比べたり、○○ができる、○○より上に・・・に気を取られがちですが、
    様々なことに愛すべき我が子が、どう向き合っているか?考えているか?悩んでいるか?
    に心を向け、よりよく心を遣っていることを評価し、“あなた”がいることで、
    私たちがどんなに幸せかを、言葉やスキンシップで伝えましょう。
    人間力を育てるには、お父さんやお母さん自身も自分の弱さを知り、
    『持ちつ持たれつ…』で助け合い、頑張り過ぎずに『大丈夫、大丈夫』…と、
    ゆとりを持って接することも大切です。

     いつも私は娘に「お母さんは個人情報流し過ぎ!」と叱られますが、
    この夏二女が扁桃腺の手術をして、孫二人をしばらく預かる事になりました。
    家が近いので、普段はうちに泊まることがないのですが、朝から晩までとなると
    環境もリズムも食生活も変わってしまいます。それでも空気を読んで、
    ちゃんと言うことを聞いて、けなげに頑張っていました。
    ところが従姉妹が遊びに来た日の夜、ちょっとしたことで3歳になる孫が大泣きし始め、
    どんなにあやしても泣き止みません。すると娘がサッと孫を抱きあげて庭に出て行きました。
    ニコニコしながら戻って来た孫に「大丈夫?」と聞くと「ママが早く良くなるように
    お星さまに、お願いします!ってお祈りしたの!」と言いました。
    従姉妹と一緒に星を見つけては「お願いしま~す!」と大声で叫んでいます。
    ずっと我慢していたのに、従姉妹がママと関わっている姿を見て爆発したのでしょう。
    思いきり泣けて良かったし、娘の行動にも感謝しました。
    今年卒園した従姉妹が隣りで「もう大丈夫だよ…」と優しく話しかけていて、幼稚園生活で
    神様がそばにいて下さること、守って下さること、願いを聞き届けて下さることを
    知っていたからこその言動にも感動しました。
    そして「ママが来たらギュ~って抱っこしてもらうの!」と笑顔で話す孫の表情は、
    私には見せない、全幅の信頼と愛情のこもった笑顔でした。
     子どもは頑張ります。我慢します。でもそれは人間力が育っているからこそで、
    母子の愛着がなければ不遇のまま終わり、それが続けばどこかでその反動が表れるはずです。

     無事退院し、感動的な(笑)母子の対面が終わりましたが、翌日幼稚園に連れて行くので
    孫を迎えに行くと「やだ~!」「抱っこ~」「私が先~!」と玄関先で二人とも大騒ぎ。
    すると二女が、「そんなに泣くなら、いつまでも泣いてなさい」(怒!)
    あ~ぁ、普通が何より。普通が幸せ。健康で普通な、こんな日常の飴とムチで、
    子どもは豊かに育っていくのでしょう。
    そのためにも2学期、お母さんの飴とムチ、笑顔とスキンシップを沢山お願い致します。

  • ひまわり
    神様の愛                         園長 湯本 美奈子
     先日の親子遠足は絶好のお天気に恵まれ、妙高高原の初夏の空気をいっぱい吸いながら
    親子で遊んだりオリエンテーリングをしたり…。他にも一緒に作ったパンや
    昼食バイキング等『母の日』のような、とても楽しい一日になりましたね。
    1日中ずっと子どもたちの笑顔が見られ、私もその様子を見ているだけで嬉しかったです。
    これからも母として教師として、この子どもたちの笑顔を支え続ける存在でありたいものです。

     さて、6月は『聖心(みこころ)の月』としてイエス様のみこころに倣い、
    父である神様に心を向ける月としています。イエス様は父である神を遠いものではなく、
    もっとも近しい『アッバ』ということばで呼ばれました。
    アッバは子どもたちが『おとうちゃん!』と愛と親しみを込めて求める呼び方です。 
    私を思う『お父ちゃんの愛』とは?
     聖書の中に『放蕩息子(ほうとうむすこ)』の例えで、神の愛について書かれています。
    ここで書かれている父の愛が『神の愛』そのものです。どうでしょうか・・・?
    私はいつもこの箇所を読むたびに「そんなばかな!半分財産を分けてもらった上、
    放蕩の限りを尽くして一文無しになった弟が悪いんじゃないか。
    それなのに悪かったと謝れば許してもらえるなんて、
    それじゃあ真面目に働いていた兄が気の毒だ!この父親は弟のほうが可愛かったんだ!」
    とか「兄には友だちとの祝宴のために子やぎ一頭もあげなかったの
    に散々迷惑をかけた弟が帰ってきたら太った子牛を料理するなんて、
    今後この兄弟は絶対うまくやっていけないな!」なんて思っていました。
    どうしても弟のほうが『お得』だと思えたのです。
     でもある時私自身がある失敗をして、すごく自己嫌悪で泣きたいくらいだった時、
    同じ箇所を読みました。その時、はじめて目が開かれたのです。 
    『私は弟なんだ』と・・・。
    初めに書いたように思っていたときの感情は『自分が兄』なのです。
    自分が兄の時は自分勝手で謙虚さや優しさがなく、自分を正当化しているのに気がつきました。
    でも私はそんなに偉いものでしょうか?強い人間でしょうか?正しいでしょうか?   
    『NO!』 です。
    よく読むと、兄に向かって父は最後に、「子よ、お前はいつも私と一緒にいる。
    私の全てはお前のものだ」と言われています。いつもそばにあり全てが満ち足りていたために、
    兄は感謝を忘れ、謙遜を忘れ、大切な『愛』をなくしてしまっていたのだと思います。
    兄が父を信頼し、父のゆるぎない愛を確信していたら、例えば「お父さん、私の友と祝宴をするために子やぎを下さいませんか?」と聞けたでしょう。お父さんはきっと
    「あぁいいとも!太った子牛を使いなさい。」と言って下さったに違いありません。
    兄弟でありながら、どこかで野垂れ死んでいたかもしれない弟が生きて戻って来たのを
    喜ぶどころか、逆に憎しみさえ感じていた兄を、父である神様はきっと
    心から悲しんでいたに違いありません。
     私は、特別問題もなく普通に過ごせている時は、日々の祈りもサ~ッと
    『心ここにあらず・・・』で祈っていることが多くあります。(神様ごめんなさい)
    そして心配事や苦しいことがあるときばかり心から祈っていることに気付く時
    『何て自分勝手なんだろう』と落ち込みます。でも神様はそんな私でも、
    毎日がごめんなさいでも、『いつもそばにいるよ。おまえが何度失敗を繰り返しても、
    その度改心するならいつでも両手を広げて待っているよ』と言って下さっていると確信しています。そして神様の愛で又明日からの元気や勇気が出てくるのです。

  • Tulips
    三つの“しあわせ”                    園長  湯本 美奈子

     入園からひと月が経とうとしています。
    せっかく慣れてきた子ども達ですが、ここで10連休にもなるお休みに入ります。
    ご家庭でお休み中も幼稚園のことを話題にしていただき、
    休み明けも元気に登園してくれることを願っています。
    さて、毎年カトリック教会では5月を『聖母月』として、
    私たちの母であるマリア様に倣い、思慕の念と神様への取り次ぎを願いながら
    祈りを推奨する月としています。自分が親になって初めて、
    母の偉大さと有難さがわかるものです。  
    お母さんが自分の母でよかった、幸せだったと思うでしょう。

     幸せには三つあるといいます。
    “してもらう幸せ”“できる幸せ”“してあげられる幸せ”です。
    オギャーと生れたその日から、自分では何もできずに
    全て“してもらって”いました。結構してもらう時期は長いのですが、
    意識もせず当たり前に過ごしていました。それから少しずつ自分でできるようになり、
    その嬉しさや達成感はあっても、あまり感謝した覚えもありません。
    “してあげられる幸せ”…に関しては子育て(夫育ても)も仕事も、
    ‟やってあげてる”的な捉えが多く、下手をすると感謝どころか『ため息』
    『不平不満』『被害妄想』『ストレス』の文字ばかり浮かんでくる時期が
    ず~っと続いた気がします。なんて未熟な人間なんでしょう(泣)。
    若い頃はできて当たり前でしたし、仕事が山積みでも頑張ってこなし、
    子育てで日々動き回って疲れても、夜寝て起きれば又元気になっていました。
    毎日ボ~ッとしている暇なんてありませんでした。
    時間も健康も家族も当たり前のようにありました。
    ところが「どっこいしょ!」という言葉がちょいちょい出る、腰が痛い、
    肩が痛い、朝起きるのが辛い・・・歳を取ったせいか無理が利かなくなってきました。
    すると、できることが無性に嬉しく、してあげることがあることや、
    頼りにされることも無性に嬉しく、有難く感じられるようになるのです。

     若い皆さんはしてもらった幸せを心で、ことばで感謝していますか?
    自分でできることがあることに感謝していますか?
    そして、してあげられる人や仕事がある人は、今沢山感謝しましょう。
    私たちはちょっとしたことで、普通の生活や精神状態でいられなくなるような
    小さな存在なのです。だからこそ失くした時に気付くのではなく、
    少し立ち止まって意識して「ありがとう、全ての事に」と口に出して言ってみましょう。
    歳を取ってからではなく、今からできる人は幸いです。
     子どもたちはまだまだ“してもらう幸せ”の対象ですが、
    両親は私たちにとって三つの幸せをずっと支えてくれた、
    大切でかけがえのない存在、感謝と幸せの塊です。
    5、6月は母の日、父の日がありますが、我が子と自分、自分と両親の
      “三つの幸せ”について考える日にしてみてはいかがでしょう。

  • Tulips
    桜梅桃李のように               園長  湯本美奈子

     ご入園・ご進級おめでとうございます。
    ようやく春の暖かい日差しになり、新学期と共に又子どもたちの
    元気な歓声が聞こえることを心から嬉しく思っています。
    聖堂増改築工事も終わり、広くて新しい、使い勝手の良い環境が整いました。
    のびのびと楽しい園生活を送ってほしいと願っています。
    一年間どうぞ宜しくお願い致します。
     さて、春を代表する花『桜・梅・桃・李(すもも)』で、
    〝おうばいとうり″とか『桜梅桃季(季節)』〝おうばいとうき″
    ということばがあります。桜も梅も桃も李(すもも)もそれぞれの美しさと
    咲く時期があり、互いに相手をうらやむことなく、自分の時に精一杯花を咲かせる。
    だから美しい…というような意味です。自然の中でもとりわけ人間は、
    神様が最も愛されて創られたものなのに、時々その基本的な生き方を忘れてしまいます。
    人を羨んだり、自分を卑下したり・・・。桜梅桃李に限らず、花も動物も
    みんな与えられた場所で自分らしく精一杯生きています。
    神様がそのように創ってくださったからこそ、どんな小さなものにも、
    心打たれる美しさや、けなげさがあるのです。子どもたちにもその子らしく、
    その時々にふさわしい花を咲かせられるようにゆっくり見とり、
    育てていけるよう努めて参りたいと思います。
     元号が『令和』に変わり10月からは幼児教育無償化が始まります。
    新しい時代の幕開けですが、これからはもっと社会情勢も変化し
    人間関係も複雑化してくるでしょう。それでもマリア幼稚園の基本理念である
    『私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい』
    と語られたイエス様の思いを受け継ぎ、育て、そのように生きることで、
    子どもたちはどんな困難にも負けない『愛』の人に育っていくことを信じています。
    純粋な心を持った子どもたちはまだ幼いので、
    何もわからないと思われるかもしれませんがちゃんと理解できるし、
    良く覚えています。すでに成人した長男は、以前誕生会の話をしたとき、
    「あの時は香代先生(担任でした)がなんだか急いでいてね、僕はまだ
    何になりたいか、はっきり決まってなかったのに、警察官?サッカーの選手?
    野球の選手?と矢継ぎ早に聞かれてさぁ、ついサッカーの選手って言っちゃったんだよね。」
    とか姪っ子に「クリスマス会は天使なの?僕は星だったんだよ」とか
    「御聖堂で100匹の羊探しをしたのを覚えてる。」とか、
    その他にも沢山の思い出を話してくれました。そしてそれは、
    ちゃんと彼の生き方や価値観にもつながっています。
    小さい頃の思い出。楽しいことも悲しいことも含めて、いつどこにいても守り、
    愛し、支えてくださる神様と共に過した幼児期の思い出は、お金には換えがたい宝物です。
    桜梅桃李のように、神に愛されている子どもとして、楽しいことも悲しいことも、
    全部宝物にできるような思い出作りの1年になりますよう、
    職員一同心して保育させていただきますので、保護者様のご協力とご支援を、
    どうぞ宜しくお願い致します。

  • 自分のために祈る                 園長  湯本 美奈子
     年末から年明けも、今年は雪が少ない暖冬で本当に有難いです。
    ご不便をおかけしていますが、お陰様で御聖堂工事も順調に進み、
    だいぶ形になってきました。出来上がるのが楽しみですが、
    3月初めの引き渡し後に新しい環境で過ごすのもつかの間、
    じきに卒園式になってしまいますね。何とも、嬉しくも寂しい今日この頃です。
    お正月遊びとともに2月の保育参観に向けて、個人や協同の製作が始まりました。
    様々な体験を通して成長した、意欲的で想像力豊かな子どもたちが逞しく見えます。
    話し合ったり、失敗したりしながら創意工夫し、協力して出来上がった作品を
    楽しみにしていて下さい。
    さてこの1年、成長したわが子を見るのは、親として本当に嬉しいことですが、
    どうぞ是非『よく頑張って育てました。私!!』と自分を褒めてやって下さい。
    子育ては、衣食住を満たすだけなら簡単です。ところが心を育てるに関しては
    、面倒で時間がかかり、正解がなく、機械に頼れない何と難問なことでしょう。
    親は常に我が子にとって最良のものを与えようとします。時として、
    様々な試練も与えます。けれど時々、子どもにとってこれでいいのか?
    本当に善いものなのか?と心配になることが、私の子育てではよくありました。
    少し前になりますが、私が買い物に行って駐車場に車を止めると、
    隣の車の助手席で2~3歳の女の子が大声で泣いていました。
    眠っていたので置いていかれたのでしょうか?ロックされていたので、
    「お母さんいないの?大丈夫だよ、待ってて。今探してくるから」と声をかけ、
    店内放送をお願いしました。なかなか見つからず、お店の方も出てきて
    一緒に心配して待っていました。ようやくお父さんが走って来たので
    「よかった~。ずいぶん泣いていましたよ。」と声をかけると一言。
    「おばさんを見たから泣いたんじゃないの~?」・・・。
    『ハァ?!(怒)』という感じ!
    胸の奥から沸々と怒りが湧き上がってきました。
    『それはないでしょう!すみませんでした、とかありがとうでしょう!』
    と思いましたが何も言えず、黙って店内に入りましたが、なかなか気持ちが収まりません。
    そのうちに『あんな親に育てられたらどんな子に育つんだろう!』とか
    『ひとことガツンと言ってやれば良かった!』とか、
    悪い思いはどんどんエスカレートしていきます。
    でもそのうちに落ち着いて考えると『あぁ~ぁ、あれは私の価値観で、
    私の思いが先行していたから腹が立ったんだなぁ…』と思いました。
    『当然、お礼を言ってもらえる』ものと思っていた自分の傲慢さ。
    そのお父さんは若くて、もしかしたら恥ずかしくて“ノリ”で
    答えてしまったのかもしれない。女の子に一言「良かったね、もう大丈夫だよ」
    と声をかけてあげればよかった。・・・
    など色々考えて自己嫌悪です。
    あの時自分の感情で、思ったことをすぐ口にしないで良かったと思いました。
    ことばは思いによって発せられます。私は弱い、ダメな人間ですから
    悪いことを考えてしまうのは仕方ないにしても、気を付けていないと
    つい言葉に発して、知らず知らずに親子でも、夫婦でも、周りの人を傷つけてしまったり、
    良い悪いに関わらず自分の価値観を優先してしまうことが多々あります。
    だからこそ、祈りは大切です。祈りは自分を見つめて、
    自分を振り返ることのできる時間です。謙遜で穏やかで、
    感謝に満ちた自分でありますようにと祈りましょう。
    そうなれないとしても(悲観的?)そんな人になれますようにと祈り続ける人は、
    きっと素敵なお母さんになること間違いありません。
    神様が必ず導いて下さいます。卒園しても神様を忘れないで、
    祈りながら生きる人となって下さい。卒園児にとっても在園児にとっても、
    来年度が楽しく豊かに恵み多い年となりますように。  
     一年間ありがとうございました。

  • 『聖家族』                          園長  湯本 美奈子
     早いもので、あとひと月余りで1年が終わってしまいます。早いものですね。        22日はクリスマス会です。インフルエンザや胃腸炎などが広がらず、
    無事に揃って当日を迎えることができるよう、健康管理はもちろん精神面でも
    子どもたちを温かく見守り、応援しながら過ごして下さい。
     さて、クリスマスのすぐ後の日曜日(30日)は『聖家族』
    (ヨゼフ・マリア・イエス)の祝日です。クリスマスは毎年世界中でお祝いしますが、
    その後はすぐ大晦日…。日本人は慌ただしく過ごしてしまいますね。
    そこで少し考えてみましょう。ヨゼフとマリアの新生活は、凡人の基準や
    価値観で考えれば、幸せとは程遠い想像を絶する不安や苦難の連続でした。
    ヨゼフは自分の子でもない聖霊によって身ごもったマリアを連れて旅に出なければならず、
    宿屋は満員で、火の気のない粗末な馬小屋で出産を迎えました。
    休む間もなく主の使いがヨゼフの夢に現れ、
    「起きよ、幼子と母を連れてエジプトに逃げよ」と告げます。
    マリアも、床(とこ)上げまで安静にとか、産後の肥立ちどころの騒ぎではありません。
    東の博士たちの来訪によって、真の王の誕生を知ったヘロデ王がベツレヘムと
    その地方全体にいる2歳以下の男の子をことごとく殺すよう命令を出したからです。
    又また長い旅を強いられました。赤子を連れて、どれほど大変な旅だったことでしょう。
    けれども神さまは、どんな苦難にも、必ず道を示して下さいました。
    そして何よりヨゼフもマリアも神を信じる『祈りの人』でしたから、
    常に従順で、感謝に満ち溢れながら家族寄り添って生活していたのでしょう。
     ミサの説教で神父様が自分の4~5歳頃の話をして下さいました。
    積み木に熱中して遊んでいた時、友だちが外で遊ぼうと誘いに来たので
    外に飛び出して行こうとした瞬間、お母さんが積み木を片づけてから行くよう声を掛けます。
    けれど神父様は「帰ったら片づける!」と言って聞きません。
    お母さんは「それなら積み木はストーブで焚いてしまうよ」と言うのですが、
    どうせ焚くはずがないとたかをくくって、遊びに出てしまいます。
    帰ってきて見ると、すっかり積み木は片付いて跡形もなく、
    石炭ストーブが勢いよく燃え盛るばかり。神父様が「積み木は?」と聞くと
    「あぁ、ストーブで燃やしちゃったわよ!」とひと言。
    まさか本当に焚くとは思っていなかった神父様は愕然とし、
    泣くことすらできずにストーブを見つめていました。
    その様子を見たお母さんは「本当に大切なら、神様にどうか許して下さい。
    積み木を返して下さいと祈ってみなさい。」と言いました。
    それから神父様は、毎日寝る前に布団の前で正座し「神さまどうか私を許して下さい。
    大切な積み木を返して下さい。」と何日も祈り続けたそうです。
    そしてついにある朝起きてみると、まだ火の付いていない石炭ストーブの上に
    きちんと箱に入った積み木が置いてあったそうです。
    神父様はその時の光景を『奇跡を目の当たりにした』と表現されていました。
    「司祭としては母のとった行動は間違っていると思う。
    祈りは必ず叶えられるものではないのだから。けれども私は、
    その時生れて初めて心から真剣に祈った。母のとった行動は、
    心からの祈りを教えるには正しかったと思う」と話されました。
     「神は神なりの思いで私たちに最善と思うものを、もたらす」と
    神父様がおっしゃるように、自分の願いとは違っても、
    神さまからの答えに気付く力を与えられるよう祈りましょう。
    聖家族がそうであるように、神父様がそうであったように、
    家族や親子のような身近な関係の中で、祈りは深く育っていきます。
    来年も聖家族に倣って信頼し合い、愛し合い、尊敬しあいながら
    沢山祈って過ごしましょう。
    クリスマスのやさしさカードを楽しみにしています。

  • ききょう
    今できること!本気で、本気で頑張るぞ!        園長  湯本 美奈子

     殺人酷暑とまで言われた記録的な暑さのこの夏。外に出て息をするのも苦しいほどで、
    セミさえも日中は暑すぎて鳴きませんでした。西日本豪雨や台風の影響で
    被害に会われた皆様はどれほど大変な夏だったことでしょう。心よりお見舞い申し上げます。
    7月に行われた家族の日のバザー等、保護者様のご厚意は全額広島教区に献金させていただきました。

    御聖堂も無事解体撤去が終了しました。9月4日には理事長の林健久神父様による新園舎建築の
    土地祝福式(地鎮祭)が執り行われ、運動会終了後からは鉄骨の組み立て工事が始まります。
    今後も事故や怪我なく工事が進みますようお祈りいただくとともに、
    登降園時の安全には十分ご注意いただきますようお願い申し上げます。

     さて、まだまだ暑い日が続きますが、例年より一週間早い9月29日に運動会があります。
    お暑い中環境整備をしていただいたお蔭で、気持ちの良い園庭で練習することができます。
    本当に有難うございました。
    今年のテーマは『今できること!本気で、本気で頑張るぞ!』です。
    子どもたちの今の姿、伸ばしたい力、育てたい心…様々考慮してこのテーマになりました。
    180人近い子どもたち一人ひとりの力は全部違い、運動や表現の得手不得手もあります。
    できないこともあります。運動会当日はみんな揃って、間違えないようにビシッと決める!・・・
    それは目的ではありません。小さい子どもですから、練習はちゃんとできていても
    当日グダグダになることもあります。いつもは速くても当日転ぶことだってあります。
    急に発熱したり、水疱瘡にかかってお休みする子もいました。それに子どもたちにとっては
    楽しみでもありますが、やりたくない、幼稚園に行きたくない病を患うこともあります。
    元気に喜んで運動会に参加できる!それだけで十分な奇跡です。
    健康管理はもちろんのこと、今その子ができること、少し頑張ればできるようになることを
    大人がちゃんと見つけて、自分でも分かって、本気で頑張ることが大事です。
    何をどこまで頑張るのか、本気ってどんなことか、クラスのみんなと一緒に考えながらやっていく。
    それが大事です。できないことができるようになったり、挑戦したり、負けたり勝ったり、
    励ましてもらったり、褒めてもらったり。そんなことの繰り返しで、みんな強く逞しくなっていきます。
    みんなと同じことができるようになるのではなく、みんなと一緒にやることが楽しいと
    思えるような運動会になればいいなぁと思います。
     
     運動会は明治頃、『競闘遊戯』という名称で始まったそうです。軍事色が強く、
    障害物競争は俊敏な動きと判断力で前戦を駆け抜ける力を、綱引きは大砲を引く力を、
    玉入れは手りゅう弾を投げる力加減を身につける為のものだったとか・・・。
    優秀な兵士を育てるためのものだったのです。そう考えると今の運動会は、本当に幸せだなぁと思います。

     秋の運動会は、少しずつできることが増えてできることの嬉しさを感じ、
    自分だけの遊びから友だちと関わる面白さを覚え、一つのことをみんなでやろうと
    努力する力が付き始めるちょうどいい時期です。
    我が子が練習の過程で見せる様々な表情やことばに、親も本気で耳を傾け、心を配り、
    成長を感じながら当日を楽しみに応援しましょう。
    子どもも親も先生も『今できること!本気で、本気で頑張るぞ!!』です。

  • Penguins
    保育サービスは誰のため?               園長  湯本 美奈子

     先日沖縄で梅雨明けが発表されました。この辺の梅雨明けも間近でしょうか。
    いよいよ本格的な夏がやって来ます。
    昨年までに、エアコンも全クラス省エネの新しいものに取り換えましたので、
    熱中症に注意しながら、夏ならではの活動を楽しみたいものです。
     さて、懸案の御聖堂老朽化に伴う増改築工事も、交付申請が通り順調に進めば
    9月から解体工事に入ります。60年間ずっと見守り続けていただいた御聖堂ですので、
    たくさんの思い出があり、何だかとても寂しい気持ちになります。
    クリスマス会も御聖堂を使っていたのですが、幼稚園棟新築の際に、
    舞台として利用していた祭壇の部分が削られて、今の形になりました。
    その後はずっと、御聖堂は静かに神様のお話しを聞く場所、神様とお話しする場所として
    子どもたちの大切な居場所となっていました。それは新しい御聖堂になる、これからもずっと変わりません。
    職員にとっても、朝礼の前や帰りに訪れ、一日の保育や子どもたちの無事を祈り、
    感謝し、自分と向き合う大切な場所でもあります。
    皆さんには時代や環境が変わっても、変わらずにあり続ける安心の居場所や、人はありますか?
     政府は『人づくり革命』と銘打って人材への投資とし、待機児童を解消し
    女性就業率80%に対応できる『子育て安心プラン』の一環として来年度10月から
    幼児教育無償化を発表しました。年少から年長まで保育料がタダになるというのです。
    子育て世代には願ったり叶ったりの法案です。けれどもまだ、詳細は何も知らされていません。
    今より少ない時間でも就労扱いになるとか、預かり保育料も無料になるとか、
    無認可の施設も対象になるとか…様々な憶測で取り沙汰されていますが、
    一番大切な子どもの精神的安定や、親との愛着は、いつどのように育てるのでしょうか?
    お金のこと以外はどこにも書いてありません。
    先日ある園長先生が「朝登園してきたらお母さんが、うちはお金がないので
    朝ご飯は食べさせてありません。宜しくお願いします」と言って子どもを置いて行かれた」
    と話されました。また他の園長先生は「夕方、お早うございますと言って
    子どもを預けて行くんです。夜のお仕事のために」とも話されました。
    お金がないのは悲惨です。教育や愛着以前の問題で、生きていくだけで精いっぱいになります。
    お母さんも疲れやストレスで体を壊してしまいます。
    子どもの為にも助けなければなりません。ただそのような家庭は今でも保育料は無料でしょう。
    所得に関係なく無償化になったら、儲かった!では済まされません。
    その時こそみんなで真剣に、そのお金を子どものための何に使おうか?
    延長保育が無料なら本当に園に出した方が得?なのかetc.をしっかり考え、
    子どもが安心して親子関係を築き、安定した生活を送るために親として
    どのように関わるのがbetterなのかを考えなければ、子どもの将来や未来の日本に希望はありません。
    何だか固い文章になってしまいましたが、マリア幼稚園の保護者様はきっと理解して下さるでしょう。
    どんなに居心地のいい園の環境でも、おうちに代わる居場所はありません。
    どんなに善い先生でも、お母さんの代わりはできません。
    目先のニンジンに振り回されないよう、遠くの、笑顔あふれる、
    生き生きとした大人になった我が子を目指して、一緒に頑張りましょう。

     子どもの笑顔が輝く季節です。良い夏休みの体験が親子でできますよう祈っています。

  • Hydrangeas

    20年後の我が子のために                 園長  湯本 美奈子

     雨上がりの青空に山々の緑が鮮やかに映え、初夏のすがすがしい日々が続きます。
    先日の親子遠足は熱中症を心配するほどの暑さではありましたが、電車やバスを使い、
    頑張って3キロもの遠足を踏破した子どもたちに、エールを送りたいと思います。
    お忙しい中、参加して下さった保護者の皆様、ありがとうございました。
    そしてお疲れ様でした。
     5月は聖母月について触れましたが、カトリック教会では67月を『聖心(みこころ)の月』
    としてイエス様のみ心にならい、父である神様に心を向ける月として奨励しています。
    梅雨の時期の雨も、日々強くなる日差しも、全てに意味があり、
    神様の恵みによって生き生きと成長する動植物のさまを、親子で共感し楽しんでいきましょう。

     さて、私が子育てをしていた20年以上前からすると、驚くほど急速に携帯やパソコン、
    ゲームなどが普及し、子どもの経験する世界が非現実的でバーチャルな世界に変化してきました。
    先日新入園の3歳児さんがあまりに大泣きしているので由香里先生が様子を見に行くと、
    お母さんに会いたいのでもなく、家に帰りたいのでもなく「ユーチューブが見たい~!」
    と言って泣いているとのこと。それは仕方がないので「はい、YouTubeは見ません!」
    と言ってそのまま戻って来ました。忙しい時やぐずる時、ついつい利便性や即効性に富んだ
    YouTubeや携帯アプリに頼りがちですが、20年先の子どもの姿を思い浮かべながら、
    依存しないよう気を付けましょう。
     6月から年中・長のお昼寝が始まる前、今年も放送での絵本の読み聞かせを始めます。
    絵本やビデオなどと違って耳からだけのお話ですが、絵がない分想像して聞くことができます。
    終わった後「今日のお話はこれでおしまいです。おやすみなさい。」と言うと
    「おやすみなさい!」の返事が教室から聞こえてきます。
    「昨日は園長先生のお話なかったね…」と残念がる子どももいて嬉しい限りですが、
    放送ではなくお母さんのひざで読んでもらう『絵本のひと時』は子どもたちにとって、
    どんなにか珠玉の時間でしょう。私は子どもに『お母さんに絵本を読んでもらった思い出』
    を作ってあげたくて読み聞かせましたが、今となれば子どもより、
    『私が子どもと過ごした宝物のひととき』になっています。
    長女は『かいじゅうたちのいるところ』が大好きで、3歳頃には一冊丸暗記してしまいました。
    それなのに「読んで」と毎回せがまれました。二女は『いもうとのにゅういん』や
    『さっちゃんのまほうの手』などの心に訴えるような絵本をいつも持ってきました。
    長男は『ろくべぇまってろよ』とか『じごくのそうべい』などの他、長新太さんの
    『へんてこライオン』シリーズが好きでした。どんな絵本でもいいのです。
    子どもと一緒に過ごす時間が大切です。
    そして絵本を見る度にその頃の思い出がよみがえってくるような、
    そんな素敵な宝物の一冊に出会えるといいですね。
    即効性はありませんが『読み聞かせ』は肉声で肌と肌を触れ合わせ、抱きしめ、
    感動を共有できる最も有効なツールです。
    絵本を読んでとせがまれる時期はほんのちょっとです。
    だからこそ20年後の為の、宝物の時間なのです。 

Copyright (C) 中野マリア幼稚園 All righits reserved