園長月のお便り
  • 花畑
    ある(・・)を尽くして                 園長  湯本美奈子

    ご入園・ご進級おめでとうございます。昨年は台風、今年はコロナウィルスと、
    穏やかに春を待ち望む…どころか慌ただしい不安な4月を迎えました。
    それでも暖かい風が吹き、水仙やパンジーが咲き始めると、
    華やいだうれしい気持ちになりますね。コロナウィルスが早く収束し、
    園生活で沢山の感動と出会えますように・・・。

     一足早く2日には保育園部門の入園式があり、今日から179名で
    新学期がスタートします。園内外で子どもたちの元気な歓声や、
    お母さんと離れがたい泣き声とが響き渡ることでしょう。(笑)
    ゆっくりしっかり育っていくよう、見守り、援助して参りますので、
    今年度も宜しくお願い致します。

     毎日当たり前に過ごしていた日々が、これほど不安定で
    不安な日々に変わることを誰が予測できたでしょう。
    マスクがなくなり、トイレットペーパーや食料品、日用品が品薄となり、
    外出自粛の影響で仕事や健康が奪われました。
    子どもたちの学ぶ場も遊び場も制限され、
    大人も子どももストレスが溜まりました。
    なくなれば欲しくなり、あっても不安でもっと欲しがり、
    十分あるから高く売る、それでも買いたい人がいる・・・
    人間の欲望にはキリがありません。
    でも、どうしても必要で大切なものはお金で買えないことにも気付きました。
    医療現場や検疫所など最前線で働く人たち、貯めたお年玉で作った
    手作りマスク612枚を寄付した中学生、メルカリで購入した布マスクに
    添えられた手書きの心温まるメッセージ『マスクが品薄でお困りのようですので
    少しですが紙マスクを同封します。個包装ではないので失礼かと思いましたが
    開けたばかりなのでよかったら使って下さい。喘息のお子様もお大事に…。』
    命がけや思いやり…の足もとにも及ばない私ですが、
    今自分にできる事を精いっぱいやることで、みんなが少しでも元気になるなら、
    物がなくても心は満ち足りるものです。ない物ねだりではなく、
    あるを尽くして無駄なく・・・です。

     春休み中、休校で毎日に飽き飽きした孫を数日間預かりました。
    一緒に洗濯物を干したりたたんだり、庭の草取りやニラを摘んでせんべいを焼き、
    クレープを作ったりパンを焼いたり…普段なら動物園とか大型スーパーとかに
    出かけてしまうのに普通に、家の中でできる事で過ごした時間は、
    私が一番癒されました。
    これからもっと大変な状況になる可能性があります。
    一番犠牲になり得るのは子どもたちです。駄々をこねるから、
    困らせるから物を買い与える。親の時間がないから早くと急かす。
    疲れたからユーチューブ。時々ならまだしも、これが続けばどう育つのか?
    言わずと知れています。辛い時こそ、『したいこと』と
    『しなくてはならないこと』の優先順位を考えて過ごしましょう。
    乗り越えることは必ずできます。もう少しの辛抱です。
    今ある健康に感謝して、できる事を一緒に頑張りましょう。

  • つくし
    『がんばれ、お母さん!!』             園長  湯本 美奈子
     新年を迎えたと思ったらあっという間に1月も終わろうとしています。
    昨年は台風被害で大変な年でしたが、今年の暖冬も異常です。
    昨日家の庭にたんぽぽが咲いていました。
    ニュースではコロナウィルスによる死者が80人を越したと報じています。
    本当に不安な年明けですが、どうか平穏で、子どもたちが事故や怪我なく、
    すくすくと成長することができますように。
    それが一番の願いです。卒園まであとわずかですが、日々感謝しながら今年も過ごして参りましょう。

     さて、今年卒園する年長さんの2名は認定こども園になって初めての0歳児で、
    6年間保育を受けたことになります。2歳児は以前から受け入れていましたので
    話が通じましたが(笑)0歳児は本当に赤ちゃんでした。
    乳幼児期の殆どを幼稚園で過ごしたといっても過言ではありません。
    小さいながらに、他人の飯を食う(笑)生活は寂しいことも沢山あったことでしょう。
    それでも先生方は、そんな気持ちを真綿で包むように察して、きめ細かく大勢の目で
    見ながら関わって下さいました。その子がもう1年生になるんだ・・・と思うと、
    本当に感慨深いものがあります。
    私も3人の子育てをしながら仕事を続けましたが、それは夫の母に見てもらっていたからできたことで、
    本当に有難いことだったと改めて思います。東京では待機児童が1万人近くいて
    劣悪な環境の無認可託児所に預けざるを得ない人も沢山います。
    だからと言って環境もよく、祖父母や幼稚園に良く接してもらっていれば
    子どもは安定するかと言えばそんなことはありません。
    手作りおやつじゃなくても、関わる時間が短くても、やっぱり“お母さん”が大切です。
    当たり前です。そうでなければ困ります。
     私の長女は保育園でも小学校でも新しい環境に慣れるまで時間がかかりました。
    行きたくない!と泣く我が子。私はというと幼稚園も新学期を迎えたばかりで、
    てんやわんやの時期。私のそんなバタバタした思いを察知したのでしょう。
    下の妹弟も不安定になってきます。仕事を持っていれば関わる時間が短くなるのは当然です。
    「待ってて。」「早く!」が口癖に・・・。 昔(?)ですから夫は全く子育てにNOタッチ(泣)  
    それである晩、「ごめんね、お母さんお仕事忙しくて・・・だから幼稚園辞めようと思うんだよ。
    そうすればずっとみんなと一緒にいられるしね。」と、子どもたちの前で泣きながら話しました。
    「そうだよ、そうしてよ!」と言われると思っていたのに子どもたちは
    「でも、幼稚園でお友だちが待っているんでしょ?」
    「辞めたらもう人形劇とか観に連れてってもらえないんでしょ?(物か~い!)」
    あげくには「お母さん、頑張って働いてればきっと又いいことあるから!」となだめられる始末。
    親が真剣に話せば子どもも真剣に考えてくれるんだなぁと感激してまた泣きました。
    その二女が中学生の時に『がんばれ、お母さん』という作文を書いてくれ、賞をいただきました。
    表彰式に保護者同伴で行ったとき、先生が「お母さん、これは最高のプレゼントですね」
    と言って下さったことを覚えています。今でも大切にとってありますが、最後に
    『自分の生き方に誇りを持っているお母さんはすごいと思うし、私もそういう生き方をしていきたいです。
    お母さん位の歳になった時、後悔しない生き方をしたいです。私はいつもお母さんを応援しています。
    これからも頑張ってください。』と書いてありました。
    最初の方はつらつらと寂しかったことや不満が書いてありましたが、徐々に理解し、
    共感してくれるような文章に変わっていきました。読み返すたびに涙が出ます。
    あの時もっとこうすればよかった・・・と思うことが沢山あります。こんな親なのに・・・です。
    でもきっと立派なお母さんなんていません。正解もありません。
    それぞれの親子がしっかり話し合ったり、向き合ってさえいれば、
    必ずいつかお母さんの思いに寄り添ってくれ、そこから親を乗り越えて立派に育っていきます。
    だから、いつも忙しいお母さん。失敗しながら、謝りながら、抱きしめながら、
    いつか巣立つ我が子のために、がんばれ、お母さん!!

  • 逆さ富士

    タダでいただいた『大切なもの』         園長 湯本美奈子

     早いもので、もうすぐ12月ですね。
    クリスマス商戦のチラシや飾りが目についてきましたが、まだまだ台風19号の被害が甚大で、
    住む家も今後の見通しもつかない方々が沢山いらっしゃることに胸が痛みます。
    私事ですが、長女の家も床上浸水し、12日の夜には隣り近所も川のようになっていました。
    お風呂も使えずお湯の出ない生活は『当たり前』が『有難い』(有ることが難しい)
    ことを痛感させられます。また不自由な生活は精神的なストレスにも繋がります。
    どうか一日も早く平穏な日々が戻りますよう、心から祈ります。
     今回の災害で大切なものを失くされた方がたくさんおられます。
    あなたにとって『大切なものは何ですか?』・・・
    健康、家族、友人、仕事、お金・・・色々なものありますが、順位が付けられません。
    どれかひとつを失うとしたら? そんなことも考えられません。
    人間は本当に欲張りです。でもよく考えてみると、ひとつとして
    自分の力だけで得たものはありません。自分の力で稼いだ!と言っても
    健康があってのことですし、今の世の中お金さえあれば欲しい『物』を
    何でも手に入れることはできるかも知れませんが、絶対に買えないものもあります。
    大切なもののほとんどが自分の力で得たのではなく、『与えていただいたもの』なのです。
    当たり前のことなのですがそれになかなか気付かずに欲しがってばかりで、
    失くしてみて初めて噛みしめる、わがままな自分です。

     愛する我が子を人間の為に与えられた神様。
    クリスマスケーキはそのシンボルです。ある神父様は、クリスマスケーキは
    ショートケーキではだめだと言われました。ケーキはイエス様。
    そしてそれを皆で分け合って食べることに意味があると。
    イエス様ご自身が私たちのためにわが身を切り裂いて分け与えて下さった。
    タダで下さった。お金で買えないもの全てを。だから私たちも大切なものを守りたい時、
    時間でも労力でもお金でも、痛みをもって割くことなしに与えてはならないと
    言われたのを覚えています。人の痛みに共感して共に泣くことは容易ですが、
    痛みを伴って分け与えるには覚悟が要ります。
    今回の災害では多くの方々の覚悟を知ることができました。
    ボランティアで、炊き出しで、義援金で、祈りで。
    神さまが見せて下さった覚悟を、私たちはタダで恵みとして分け与えられ、
    その恵みを人と分かち合うように『人間』を創って下さったのだと思うと、
    人間て素晴らしい!と思います。大切なものに感謝し、分かち合う幸せを感じ、
    共に頑張っていけるよう一歩ずつ日々を過ごし、クリスマスへと思いを馳せましょう。

  • DSCN8721
    『祈りは会話』                   園長  湯本 美奈子

     今年の夏は驚異的な暑さで日中は息をするのも大変でしたが、ここにきて急に寒くなってきたので、体が付いていけない状況です。風邪や発熱するお子さんも増えてきました。栄養や休養をしっかり摂り、健康的に乗り切りましょう。
     さてカトリック教会では10月は『ロザリオの月』、11月を『死者の月』と定め、聖母マリアの取り次ぎを願い、家族、親戚、知人そして全ての亡くなられた人の安息を願って祈ります。私事になりますが、母がすい臓がんで他界して5年が経ちました。普通に元気でいたのに癌が見つかってからは急に弱っていき、発見から3か月、あっという間でした。その間家族や孫、ひ孫、兄妹や姪甥が毎日引きも切らずに見舞ってくれ、薬のおかげで痛みもなく、私も終末は病院で寝泊まりしていましたが最期は手を握りながら穏やかに、静かに旅立つ母を看取ることができました。母は胃潰瘍、肝炎、乳がん、突発性難聴、繊維筋痛症・・・あらゆる病気と闘ってきました。その度に痛みはもちろん『何故自分ばかり・・・』とか『死ぬかも知れない・・・』という苦しい思いや恐怖がずっとあったと思います。それなのに母は私に「どうしてそんなに悲しむの?私はこんなに長生きできると思わなかったよ。子どもたちが良い子に育って、今までも幸せで、思い残すことは何もないのよ。ありがとう」と言って一度も愚痴をこぼしませんでした。健康だった私は、母の深い苦しみを理解し、癒してあげることができなかったのに、母は亡くなってもなお、私の傍にいて限りない愛と勇気を与えてくれています。 私は幸せ者だと思います。
     自宅にも実家にも仏壇があるので、祈りながら亡くなった舅や母と話をする機会が増えました。実家の両親はずっとお念仏を唱えていたので「無上甚深微妙法、百千万劫難遭遇、我今見聞得受持・・・」など覚えてしまいました。(笑)    私はカトリックの洗礼を受けていますが、神様はきっとそんな私の姿をも、喜んで下さっていると信じています。亡くなった人の為に祈ることは、宗派や形ではなく、『愛を込めて会話する』ことではないでしょうか?祈っていると舅も母もいつもそばにいて、家族の幸せを執り成して下さっていることを感じ、安心します。そしてその祈りは、天の神様に繋がっていると信じています。信仰は、人が幸せに生きるための、又試練を乗り越えるための力や慰めとなるもので、神さまは『こうしなければ不幸になる』とか、『たたる』とか、重荷を負わせる方では決してありません。
     この季節、生き生きとした夏の緑も色を変え、代わりに実りの種や実をつけ、葉を落とします。人の一生も自然の移り変わりと同じように、その時々に使命をもって、輝きと深みを増していき、終末を迎えます。普段は仕事や家族と関わる忙しい生活の中で、なかなか亡くなった方を思い出して祈るということが少ないかもしれませんが、今歓声をあげて遊び込む子どもたちの幸せは、多くの父母から辿った先人のおかげであることに感謝しながら、全ての亡くなった方々のために、祈りながら過ごしましょう。

  • ききょう
    『人間力(にんげんりょく)を育てる』                園長  湯本 美奈子
    梅雨が長く、冷夏?とまで言われたのに今年の夏はまた格別に暑かったですね。
    残暑も心配ですが、行事の多い2学期も健康管理に努めながら元気に過ごしたいと思います。
     
     今年は岡山県でカトリック教職員研修会がありました。
    幼稚園からバスをチャーターし、9時間かけて参加した甲斐あって、北海道から沖縄まで
    800人近い参加者と共にカトリック教育の基本を分かち合うことができました。
    私の分科会は『豊かな人間力を育む幼児教育の実践』がテーマでした。
    誰でも、いい時はいつも幸せですが、うまくいかない時、不遇の時は苦しみます。
    でも落ち込んでばかりいないで、その原因や意味を考えながら耐えられる力、
    乗り越えられる力が『人間力』だと言われました。
     母親のほとんどは、我が子に愛をもって接することに喜びを感じながら子育てをしています。
    喜んでいる“あなた”のありのままの姿を嬉しい、愛しいと思い、
    失敗したり悲しんだりしている“あなた”に共感し、寄り添いたいと思いながら関わっています。時々、人と比べたり、○○ができる、○○より上に・・・に気を取られがちですが、
    様々なことに愛すべき我が子が、どう向き合っているか?考えているか?悩んでいるか?
    に心を向け、よりよく心を遣っていることを評価し、“あなた”がいることで、
    私たちがどんなに幸せかを、言葉やスキンシップで伝えましょう。
    人間力を育てるには、お父さんやお母さん自身も自分の弱さを知り、
    『持ちつ持たれつ…』で助け合い、頑張り過ぎずに『大丈夫、大丈夫』…と、
    ゆとりを持って接することも大切です。

     いつも私は娘に「お母さんは個人情報流し過ぎ!」と叱られますが、
    この夏二女が扁桃腺の手術をして、孫二人をしばらく預かる事になりました。
    家が近いので、普段はうちに泊まることがないのですが、朝から晩までとなると
    環境もリズムも食生活も変わってしまいます。それでも空気を読んで、
    ちゃんと言うことを聞いて、けなげに頑張っていました。
    ところが従姉妹が遊びに来た日の夜、ちょっとしたことで3歳になる孫が大泣きし始め、
    どんなにあやしても泣き止みません。すると娘がサッと孫を抱きあげて庭に出て行きました。
    ニコニコしながら戻って来た孫に「大丈夫?」と聞くと「ママが早く良くなるように
    お星さまに、お願いします!ってお祈りしたの!」と言いました。
    従姉妹と一緒に星を見つけては「お願いしま~す!」と大声で叫んでいます。
    ずっと我慢していたのに、従姉妹がママと関わっている姿を見て爆発したのでしょう。
    思いきり泣けて良かったし、娘の行動にも感謝しました。
    今年卒園した従姉妹が隣りで「もう大丈夫だよ…」と優しく話しかけていて、幼稚園生活で
    神様がそばにいて下さること、守って下さること、願いを聞き届けて下さることを
    知っていたからこその言動にも感動しました。
    そして「ママが来たらギュ~って抱っこしてもらうの!」と笑顔で話す孫の表情は、
    私には見せない、全幅の信頼と愛情のこもった笑顔でした。
     子どもは頑張ります。我慢します。でもそれは人間力が育っているからこそで、
    母子の愛着がなければ不遇のまま終わり、それが続けばどこかでその反動が表れるはずです。

     無事退院し、感動的な(笑)母子の対面が終わりましたが、翌日幼稚園に連れて行くので
    孫を迎えに行くと「やだ~!」「抱っこ~」「私が先~!」と玄関先で二人とも大騒ぎ。
    すると二女が、「そんなに泣くなら、いつまでも泣いてなさい」(怒!)
    あ~ぁ、普通が何より。普通が幸せ。健康で普通な、こんな日常の飴とムチで、
    子どもは豊かに育っていくのでしょう。
    そのためにも2学期、お母さんの飴とムチ、笑顔とスキンシップを沢山お願い致します。

  • ひまわり
    神様の愛                         園長 湯本 美奈子
     先日の親子遠足は絶好のお天気に恵まれ、妙高高原の初夏の空気をいっぱい吸いながら
    親子で遊んだりオリエンテーリングをしたり…。他にも一緒に作ったパンや
    昼食バイキング等『母の日』のような、とても楽しい一日になりましたね。
    1日中ずっと子どもたちの笑顔が見られ、私もその様子を見ているだけで嬉しかったです。
    これからも母として教師として、この子どもたちの笑顔を支え続ける存在でありたいものです。

     さて、6月は『聖心(みこころ)の月』としてイエス様のみこころに倣い、
    父である神様に心を向ける月としています。イエス様は父である神を遠いものではなく、
    もっとも近しい『アッバ』ということばで呼ばれました。
    アッバは子どもたちが『おとうちゃん!』と愛と親しみを込めて求める呼び方です。 
    私を思う『お父ちゃんの愛』とは?
     聖書の中に『放蕩息子(ほうとうむすこ)』の例えで、神の愛について書かれています。
    ここで書かれている父の愛が『神の愛』そのものです。どうでしょうか・・・?
    私はいつもこの箇所を読むたびに「そんなばかな!半分財産を分けてもらった上、
    放蕩の限りを尽くして一文無しになった弟が悪いんじゃないか。
    それなのに悪かったと謝れば許してもらえるなんて、
    それじゃあ真面目に働いていた兄が気の毒だ!この父親は弟のほうが可愛かったんだ!」
    とか「兄には友だちとの祝宴のために子やぎ一頭もあげなかったの
    に散々迷惑をかけた弟が帰ってきたら太った子牛を料理するなんて、
    今後この兄弟は絶対うまくやっていけないな!」なんて思っていました。
    どうしても弟のほうが『お得』だと思えたのです。
     でもある時私自身がある失敗をして、すごく自己嫌悪で泣きたいくらいだった時、
    同じ箇所を読みました。その時、はじめて目が開かれたのです。 
    『私は弟なんだ』と・・・。
    初めに書いたように思っていたときの感情は『自分が兄』なのです。
    自分が兄の時は自分勝手で謙虚さや優しさがなく、自分を正当化しているのに気がつきました。
    でも私はそんなに偉いものでしょうか?強い人間でしょうか?正しいでしょうか?   
    『NO!』 です。
    よく読むと、兄に向かって父は最後に、「子よ、お前はいつも私と一緒にいる。
    私の全てはお前のものだ」と言われています。いつもそばにあり全てが満ち足りていたために、
    兄は感謝を忘れ、謙遜を忘れ、大切な『愛』をなくしてしまっていたのだと思います。
    兄が父を信頼し、父のゆるぎない愛を確信していたら、例えば「お父さん、私の友と祝宴をするために子やぎを下さいませんか?」と聞けたでしょう。お父さんはきっと
    「あぁいいとも!太った子牛を使いなさい。」と言って下さったに違いありません。
    兄弟でありながら、どこかで野垂れ死んでいたかもしれない弟が生きて戻って来たのを
    喜ぶどころか、逆に憎しみさえ感じていた兄を、父である神様はきっと
    心から悲しんでいたに違いありません。
     私は、特別問題もなく普通に過ごせている時は、日々の祈りもサ~ッと
    『心ここにあらず・・・』で祈っていることが多くあります。(神様ごめんなさい)
    そして心配事や苦しいことがあるときばかり心から祈っていることに気付く時
    『何て自分勝手なんだろう』と落ち込みます。でも神様はそんな私でも、
    毎日がごめんなさいでも、『いつもそばにいるよ。おまえが何度失敗を繰り返しても、
    その度改心するならいつでも両手を広げて待っているよ』と言って下さっていると確信しています。そして神様の愛で又明日からの元気や勇気が出てくるのです。

  • Tulips
    三つの“しあわせ”                    園長  湯本 美奈子

     入園からひと月が経とうとしています。
    せっかく慣れてきた子ども達ですが、ここで10連休にもなるお休みに入ります。
    ご家庭でお休み中も幼稚園のことを話題にしていただき、
    休み明けも元気に登園してくれることを願っています。
    さて、毎年カトリック教会では5月を『聖母月』として、
    私たちの母であるマリア様に倣い、思慕の念と神様への取り次ぎを願いながら
    祈りを推奨する月としています。自分が親になって初めて、
    母の偉大さと有難さがわかるものです。  
    お母さんが自分の母でよかった、幸せだったと思うでしょう。

     幸せには三つあるといいます。
    “してもらう幸せ”“できる幸せ”“してあげられる幸せ”です。
    オギャーと生れたその日から、自分では何もできずに
    全て“してもらって”いました。結構してもらう時期は長いのですが、
    意識もせず当たり前に過ごしていました。それから少しずつ自分でできるようになり、
    その嬉しさや達成感はあっても、あまり感謝した覚えもありません。
    “してあげられる幸せ”…に関しては子育て(夫育ても)も仕事も、
    ‟やってあげてる”的な捉えが多く、下手をすると感謝どころか『ため息』
    『不平不満』『被害妄想』『ストレス』の文字ばかり浮かんでくる時期が
    ず~っと続いた気がします。なんて未熟な人間なんでしょう(泣)。
    若い頃はできて当たり前でしたし、仕事が山積みでも頑張ってこなし、
    子育てで日々動き回って疲れても、夜寝て起きれば又元気になっていました。
    毎日ボ~ッとしている暇なんてありませんでした。
    時間も健康も家族も当たり前のようにありました。
    ところが「どっこいしょ!」という言葉がちょいちょい出る、腰が痛い、
    肩が痛い、朝起きるのが辛い・・・歳を取ったせいか無理が利かなくなってきました。
    すると、できることが無性に嬉しく、してあげることがあることや、
    頼りにされることも無性に嬉しく、有難く感じられるようになるのです。

     若い皆さんはしてもらった幸せを心で、ことばで感謝していますか?
    自分でできることがあることに感謝していますか?
    そして、してあげられる人や仕事がある人は、今沢山感謝しましょう。
    私たちはちょっとしたことで、普通の生活や精神状態でいられなくなるような
    小さな存在なのです。だからこそ失くした時に気付くのではなく、
    少し立ち止まって意識して「ありがとう、全ての事に」と口に出して言ってみましょう。
    歳を取ってからではなく、今からできる人は幸いです。
     子どもたちはまだまだ“してもらう幸せ”の対象ですが、
    両親は私たちにとって三つの幸せをずっと支えてくれた、
    大切でかけがえのない存在、感謝と幸せの塊です。
    5、6月は母の日、父の日がありますが、我が子と自分、自分と両親の
      “三つの幸せ”について考える日にしてみてはいかがでしょう。

  • Tulips
    桜梅桃李のように               園長  湯本美奈子

     ご入園・ご進級おめでとうございます。
    ようやく春の暖かい日差しになり、新学期と共に又子どもたちの
    元気な歓声が聞こえることを心から嬉しく思っています。
    聖堂増改築工事も終わり、広くて新しい、使い勝手の良い環境が整いました。
    のびのびと楽しい園生活を送ってほしいと願っています。
    一年間どうぞ宜しくお願い致します。
     さて、春を代表する花『桜・梅・桃・李(すもも)』で、
    〝おうばいとうり″とか『桜梅桃季(季節)』〝おうばいとうき″
    ということばがあります。桜も梅も桃も李(すもも)もそれぞれの美しさと
    咲く時期があり、互いに相手をうらやむことなく、自分の時に精一杯花を咲かせる。
    だから美しい…というような意味です。自然の中でもとりわけ人間は、
    神様が最も愛されて創られたものなのに、時々その基本的な生き方を忘れてしまいます。
    人を羨んだり、自分を卑下したり・・・。桜梅桃李に限らず、花も動物も
    みんな与えられた場所で自分らしく精一杯生きています。
    神様がそのように創ってくださったからこそ、どんな小さなものにも、
    心打たれる美しさや、けなげさがあるのです。子どもたちにもその子らしく、
    その時々にふさわしい花を咲かせられるようにゆっくり見とり、
    育てていけるよう努めて参りたいと思います。
     元号が『令和』に変わり10月からは幼児教育無償化が始まります。
    新しい時代の幕開けですが、これからはもっと社会情勢も変化し
    人間関係も複雑化してくるでしょう。それでもマリア幼稚園の基本理念である
    『私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい』
    と語られたイエス様の思いを受け継ぎ、育て、そのように生きることで、
    子どもたちはどんな困難にも負けない『愛』の人に育っていくことを信じています。
    純粋な心を持った子どもたちはまだ幼いので、
    何もわからないと思われるかもしれませんがちゃんと理解できるし、
    良く覚えています。すでに成人した長男は、以前誕生会の話をしたとき、
    「あの時は香代先生(担任でした)がなんだか急いでいてね、僕はまだ
    何になりたいか、はっきり決まってなかったのに、警察官?サッカーの選手?
    野球の選手?と矢継ぎ早に聞かれてさぁ、ついサッカーの選手って言っちゃったんだよね。」
    とか姪っ子に「クリスマス会は天使なの?僕は星だったんだよ」とか
    「御聖堂で100匹の羊探しをしたのを覚えてる。」とか、
    その他にも沢山の思い出を話してくれました。そしてそれは、
    ちゃんと彼の生き方や価値観にもつながっています。
    小さい頃の思い出。楽しいことも悲しいことも含めて、いつどこにいても守り、
    愛し、支えてくださる神様と共に過した幼児期の思い出は、お金には換えがたい宝物です。
    桜梅桃李のように、神に愛されている子どもとして、楽しいことも悲しいことも、
    全部宝物にできるような思い出作りの1年になりますよう、
    職員一同心して保育させていただきますので、保護者様のご協力とご支援を、
    どうぞ宜しくお願い致します。

  • 自分のために祈る                 園長  湯本 美奈子
     年末から年明けも、今年は雪が少ない暖冬で本当に有難いです。
    ご不便をおかけしていますが、お陰様で御聖堂工事も順調に進み、
    だいぶ形になってきました。出来上がるのが楽しみですが、
    3月初めの引き渡し後に新しい環境で過ごすのもつかの間、
    じきに卒園式になってしまいますね。何とも、嬉しくも寂しい今日この頃です。
    お正月遊びとともに2月の保育参観に向けて、個人や協同の製作が始まりました。
    様々な体験を通して成長した、意欲的で想像力豊かな子どもたちが逞しく見えます。
    話し合ったり、失敗したりしながら創意工夫し、協力して出来上がった作品を
    楽しみにしていて下さい。
    さてこの1年、成長したわが子を見るのは、親として本当に嬉しいことですが、
    どうぞ是非『よく頑張って育てました。私!!』と自分を褒めてやって下さい。
    子育ては、衣食住を満たすだけなら簡単です。ところが心を育てるに関しては
    、面倒で時間がかかり、正解がなく、機械に頼れない何と難問なことでしょう。
    親は常に我が子にとって最良のものを与えようとします。時として、
    様々な試練も与えます。けれど時々、子どもにとってこれでいいのか?
    本当に善いものなのか?と心配になることが、私の子育てではよくありました。
    少し前になりますが、私が買い物に行って駐車場に車を止めると、
    隣の車の助手席で2~3歳の女の子が大声で泣いていました。
    眠っていたので置いていかれたのでしょうか?ロックされていたので、
    「お母さんいないの?大丈夫だよ、待ってて。今探してくるから」と声をかけ、
    店内放送をお願いしました。なかなか見つからず、お店の方も出てきて
    一緒に心配して待っていました。ようやくお父さんが走って来たので
    「よかった~。ずいぶん泣いていましたよ。」と声をかけると一言。
    「おばさんを見たから泣いたんじゃないの~?」・・・。
    『ハァ?!(怒)』という感じ!
    胸の奥から沸々と怒りが湧き上がってきました。
    『それはないでしょう!すみませんでした、とかありがとうでしょう!』
    と思いましたが何も言えず、黙って店内に入りましたが、なかなか気持ちが収まりません。
    そのうちに『あんな親に育てられたらどんな子に育つんだろう!』とか
    『ひとことガツンと言ってやれば良かった!』とか、
    悪い思いはどんどんエスカレートしていきます。
    でもそのうちに落ち着いて考えると『あぁ~ぁ、あれは私の価値観で、
    私の思いが先行していたから腹が立ったんだなぁ…』と思いました。
    『当然、お礼を言ってもらえる』ものと思っていた自分の傲慢さ。
    そのお父さんは若くて、もしかしたら恥ずかしくて“ノリ”で
    答えてしまったのかもしれない。女の子に一言「良かったね、もう大丈夫だよ」
    と声をかけてあげればよかった。・・・
    など色々考えて自己嫌悪です。
    あの時自分の感情で、思ったことをすぐ口にしないで良かったと思いました。
    ことばは思いによって発せられます。私は弱い、ダメな人間ですから
    悪いことを考えてしまうのは仕方ないにしても、気を付けていないと
    つい言葉に発して、知らず知らずに親子でも、夫婦でも、周りの人を傷つけてしまったり、
    良い悪いに関わらず自分の価値観を優先してしまうことが多々あります。
    だからこそ、祈りは大切です。祈りは自分を見つめて、
    自分を振り返ることのできる時間です。謙遜で穏やかで、
    感謝に満ちた自分でありますようにと祈りましょう。
    そうなれないとしても(悲観的?)そんな人になれますようにと祈り続ける人は、
    きっと素敵なお母さんになること間違いありません。
    神様が必ず導いて下さいます。卒園しても神様を忘れないで、
    祈りながら生きる人となって下さい。卒園児にとっても在園児にとっても、
    来年度が楽しく豊かに恵み多い年となりますように。  
     一年間ありがとうございました。

  • 『聖家族』                          園長  湯本 美奈子
     早いもので、あとひと月余りで1年が終わってしまいます。早いものですね。        22日はクリスマス会です。インフルエンザや胃腸炎などが広がらず、
    無事に揃って当日を迎えることができるよう、健康管理はもちろん精神面でも
    子どもたちを温かく見守り、応援しながら過ごして下さい。
     さて、クリスマスのすぐ後の日曜日(30日)は『聖家族』
    (ヨゼフ・マリア・イエス)の祝日です。クリスマスは毎年世界中でお祝いしますが、
    その後はすぐ大晦日…。日本人は慌ただしく過ごしてしまいますね。
    そこで少し考えてみましょう。ヨゼフとマリアの新生活は、凡人の基準や
    価値観で考えれば、幸せとは程遠い想像を絶する不安や苦難の連続でした。
    ヨゼフは自分の子でもない聖霊によって身ごもったマリアを連れて旅に出なければならず、
    宿屋は満員で、火の気のない粗末な馬小屋で出産を迎えました。
    休む間もなく主の使いがヨゼフの夢に現れ、
    「起きよ、幼子と母を連れてエジプトに逃げよ」と告げます。
    マリアも、床(とこ)上げまで安静にとか、産後の肥立ちどころの騒ぎではありません。
    東の博士たちの来訪によって、真の王の誕生を知ったヘロデ王がベツレヘムと
    その地方全体にいる2歳以下の男の子をことごとく殺すよう命令を出したからです。
    又また長い旅を強いられました。赤子を連れて、どれほど大変な旅だったことでしょう。
    けれども神さまは、どんな苦難にも、必ず道を示して下さいました。
    そして何よりヨゼフもマリアも神を信じる『祈りの人』でしたから、
    常に従順で、感謝に満ち溢れながら家族寄り添って生活していたのでしょう。
     ミサの説教で神父様が自分の4~5歳頃の話をして下さいました。
    積み木に熱中して遊んでいた時、友だちが外で遊ぼうと誘いに来たので
    外に飛び出して行こうとした瞬間、お母さんが積み木を片づけてから行くよう声を掛けます。
    けれど神父様は「帰ったら片づける!」と言って聞きません。
    お母さんは「それなら積み木はストーブで焚いてしまうよ」と言うのですが、
    どうせ焚くはずがないとたかをくくって、遊びに出てしまいます。
    帰ってきて見ると、すっかり積み木は片付いて跡形もなく、
    石炭ストーブが勢いよく燃え盛るばかり。神父様が「積み木は?」と聞くと
    「あぁ、ストーブで燃やしちゃったわよ!」とひと言。
    まさか本当に焚くとは思っていなかった神父様は愕然とし、
    泣くことすらできずにストーブを見つめていました。
    その様子を見たお母さんは「本当に大切なら、神様にどうか許して下さい。
    積み木を返して下さいと祈ってみなさい。」と言いました。
    それから神父様は、毎日寝る前に布団の前で正座し「神さまどうか私を許して下さい。
    大切な積み木を返して下さい。」と何日も祈り続けたそうです。
    そしてついにある朝起きてみると、まだ火の付いていない石炭ストーブの上に
    きちんと箱に入った積み木が置いてあったそうです。
    神父様はその時の光景を『奇跡を目の当たりにした』と表現されていました。
    「司祭としては母のとった行動は間違っていると思う。
    祈りは必ず叶えられるものではないのだから。けれども私は、
    その時生れて初めて心から真剣に祈った。母のとった行動は、
    心からの祈りを教えるには正しかったと思う」と話されました。
     「神は神なりの思いで私たちに最善と思うものを、もたらす」と
    神父様がおっしゃるように、自分の願いとは違っても、
    神さまからの答えに気付く力を与えられるよう祈りましょう。
    聖家族がそうであるように、神父様がそうであったように、
    家族や親子のような身近な関係の中で、祈りは深く育っていきます。
    来年も聖家族に倣って信頼し合い、愛し合い、尊敬しあいながら
    沢山祈って過ごしましょう。
    クリスマスのやさしさカードを楽しみにしています。

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