園長月のお便り
  • トトロ
    『愛おしい時間』           園長  湯本 美奈子

     入園から半月が過ぎました。子どもたちは、新しい環境や先生や友だちの中で一生懸命頑張っています。
    風も日差しも草花も、そんな子どもたちを応援しているかのように心地よく、一年でもっとも美しい季節を迎えます。
    5月は『聖母月』として、マリア様に倣う月として奨励しています。
    マリア様はイエス様のお母さんですが、私たちみんなのお母さんでもあります。
    大好きなお母さんを思い浮かべながら、マリア様への思慕を深めて参りましょう。
     さて、NHKの『チコちゃんに叱られる』という番組をご存知ですか?改めて聞かれると知らないことが多く、
    答えられないと「ボ~っと生きてんじゃね~よ!」と自称5歳のチコちゃんに叱られるのです。
    ポン酢のポンは何のポン?とか、行ってらっしゃ~いと言うときに何故手を振るの?とか、
    ショートケーキってどんなケーキ?など、「へぇ~!」と思うことが沢山あって毎週楽しみに見ています。
    その中で、親と過ごせるのはあと何時間?という質問がありました。
    番組内での回答は、親と同居していない大人の場合、あくまで平均ですが1年間で親と会えるのは6日間だそうです。
    寝ている時間もあるので時間にすればもっと少ない。私の父は今年90歳になったので平均寿命を大幅に超えていて…
    そう考えるといつ会えなくなるか分かりません。また今度…なんて思わないで、
    ちょいちょい顔を見せに行こうと思います。
     番組では「子供と過ごせる生涯時間」も発表していました。母親が7年6ヶ月。
    父親は3年4ヶ月。まさか~!それっぽっち?と思いましたが、確かに幼稚園に入園する頃から
    会っている時間が急激に減ります。そしてその貴重な時間の32%が卒園までに、55%が小学校卒業までに、
    高校卒業までには73%が終わってしまうとのこと。幼稚園までは、どこへ行くにも何をするにも一緒だったけれど、
    小中学校へ進むにつれて、一人でも大丈夫な場面が増え、親とではなく友達といるようになってきます。
    親もだんだん関心が薄れていくのか、息子の高校の授業参観に行ったら、誰も見に行っていなくて、
    恥ずかしい思いをしたことを思い出しました。大学生活なんて話を聞くことくらいで実感がありませんでしたし、
    頼りにされるのは金銭的な援助?・・・ともあれ、何を言いたいかというと、我が子といられる今この時は、
    愛おしい宝物の時間で、あっという間になくなってしまう、かけがえのないものだということです。
     先日娘が1歳半の孫の動画を送ってきました。悪いことをしたのに絶対に謝らず、大泣きして抵抗する孫!
    娘も負けずに戦っています。私も自分の子育てを思い出し、キラキラとまぶしいくらいの幸せな動画でした。
    当たり前な普通の時間。でもそれを与えてもらえるのは母親の特権です。
    そして残念なことに、世のお父さん方は母親の半分しか子どもと関わる時間がないのですから、
    意識して時間を作り、濃厚に(笑)過ごしましょう。
    私たちのお母さんであるマリア様が今の世に生きておられても、イエス様の時と同じように
    一生懸命自分の仕事をしながら、自分の思いではなく『この子がよく育つための道具にして下さい』と
    祈りながら子育てをなさるでしょう。
    私たちも、この子にふさわしい母親、父親になれますようにと、祈りながら過ごしましょう。

  • さくら2
    どきどき、わくわく              園長  湯本 美奈子

    ご入園ご進級おめでとうございます。今年一年間どうぞ宜しくお願い致します。
    4月は『出会い』の時です。3月に様々なお別れをした人たちも、
    『どきどきわくわく』しながら新学期を迎えていることと思います。今年はどのような出会いが待っているのでしょうか。
    『やさしい先生だったらいいなぁ』『お友だちがたくさんできたらいいなぁ』と
    皆さんが思うでしょう。出会うこと、関わること全てのことは決して『偶然』ではありません。
    よく『子どもは親を選べない』とか言いますが、子どもを授かった時点で、
    神様がその子にふさわしい『親』を選んで下さっているのです。
    ですから親は選ばれた責任と自覚を持って、愛を込めて、その子にふさわしく
    成長させる使命を与えられています。
    では保護者の方々が今日まで大切に育ててこられたお子様を、何故幼稚園に入れるのでしょうか。
    もちろん社会性や協調性などを学ぶためです。人は一人では生きていけません。
    家にいるように一生自由気ままに好きなことだけをしていくこともできません。
    ですからこんどは子どもが自分で『生き生きと』生きていくための心と体の準備を
    してあげるのが幼稚園だと思います。排泄、食事、着替えなどの基本的生活習慣はもちろんですが、
    一番大切なのは幼稚園生活を通して『私はおうち以外でも、たくさんの人から愛されているんだ』
    ということを、子ども自身が実感することです。ですから、とびきりの笑顔で関わりたいです。
    一緒にたくさんあそびましょう。けれど『愛』は嬉しい、楽しいことだけでは育ちません。
    子どもたちは、辛さ、悲しさ、悔しさ、様々な『試練』を通して、
    もっと深い『愛』を学んでいきます。ですが、これらのことをまだ幼い子どもたちが
    体験して乗り越えてゆくには、『どんなことがあっても、あなたはかけがえのない大切な宝物。
    大丈夫、ちゃんと見てるよ、応援してるよ』ということを、親や教師が全身で
    気付かせていかなければなりません。しっかり愛されて育った子どもは、逆境にも強いのです。
    『辛抱』ということばがあります。
    『堪え忍び、我慢すること』と辞書には書いてありますが、
    ず〝―″っと頑張っていれば『―』を足して『辛』が『幸』という字になって、
    『幸抱』…『幸せを抱える人』になれるのだそうです。
    新学期、泣いてお母さんと離れられない新入園児さんや、けんかやおもちゃの
    取り合いで痛い思いを経験する子どもたちと一緒に、泣いたり笑ったりしながらその子らしく、
    愛をたくさん抱える人に育てていきたいと思います。
    保護者の皆様とご一緒に祈りながら、見守ってまいりましょう。

  •          イースターエッグ
    『幸せのかたち』                園長 湯本美奈子

     心配していた雪は昨年程ではないものの、突然の大雪で大事故やパニックになった地域もあります。
    早く暖かい春が来ないかと心待ちに過ごす今日この頃です。

     子どもたちはお正月のあそびや雪遊びをしながら作品展に向けて
    製作活動に励んでいます。今年は〝はらぺこあおむし″の世界を想像しながら、
    『廃品や様々な素材に親しむ』 『特性を活かして大切に使う
    (布・紙・ガムテープ・セロテープのり・ボンドなど)』
    『思いを形にする』などをねらいに、みんなで協力し合い、
    自分にできることで 『共働(きょうどう)的なあそび』 を展開していきます。
    今年度最後の参観日を楽しみに、ご家族揃ってお越しください。
     さて、年長さんはいよいよ4月から小学生ですね。
    マリア幼稚園で過ごした数年間は、子どもたちにとってどんな時間だったでしょうか?
    楽しいこと、泣きたいこと、色々あったと思います。あいさつのできる子、
    りんじんを愛する子、がまん強い子、ともだちと仲良くできる子、
    うそをつかない正直な子(あ・り・が・と・う)の教育には、
    いつも『愛である神様が、いつも共にいてくださる』 カトリック精神がありました。
     愛とか幸せってどんな時に感じますか?
    ご存知の方もいらっしゃると思いますが、60年近く前から障害者雇用を始め、
    現在も社員の7割以上が障害者で、チョークを作っている『日本理化工業(株)』。
    そこの社長さんは
    『人間の本当の幸せとは「愛されること、褒められること、
    役に立つこと、必要とされること」と話されました。
    まさにその通りだと、お話を聞きながら涙が出てきてしまいました。
     子どもたちはこれから成長し、社会の荒波に自分の船を漕ぎ出します。
    点数や人の評価や、心ない言動に振り回されることもあるでしょう。
    物やお金で一喜一憂することもあるでしょう。
    けれども、本当の幸せは目に見えないところにあることを忘れないで下さい。
    子どもたちに話しています。「目に見えるものは、
    人にあげれば無くなってしまうけれど、目に見えないやさしさや
    思いやりは使えば使うほど、神様がみんなの心に
    『愛』という宝物に替えて増やして下さるんだよ」と。
    「みんなの目も、口も、手や足も『愛』があればニコニコするし、
    やさしいことばを言うし、手も、なでてあげたりさすってあげたりできるし、
    足も困っている人の所に走っていくことができる。でも愛がなければ、
    にらんだり、傷つくことばを喋ったり、叩いたりつねったり蹴ったりする。
    みんなの体は神様が愛の心で遣うように下さったものなんだよ。」と。
    格差社会が広がる中、大切なものは目に見える確かなもの・・・
    に走りがちですが、子どもたちには本物の宝探しの旅に、
    船を漕ぎ出してほしいと願っています。
    『誰も見ていなくてもいつも見ていてくださる神様』だからこそ、
    子どもたちは神様に褒めてもらいたい、喜んでもらいたい、悲しませない
    という思いで生活し、心やさしく成長しました。
    生まれてくれたわが子が初めて笑った、寝返りを打った、歯が生えた、
    ことばを喋った・・・そんな些細なことが本当に嬉しく、ちょっとした言動に感動し、
    抱きしめ、褒めて育ててきた幸せな瞬間を忘れないで下さい。
    本当の幸せを知っている人は、ちょっとしたことではへこたれません。あきらめません。これからもまだまだ沢山の感動や幸せを子どもたちからもらえますよ。
    楽しみですね。見えない心の動きを評価し、これからも抱きしめ、
    褒めて育てましょう。必ず人にやさしく、幸せの種を蒔く人に育つことでしょう。 
    これからもずっと祈っています。

  • うれしい贈り物                 園長 湯本 美奈子

     あっという間にカレンダーも残すところ1枚になってしまいました。早いものです。
    寒くなってきますので体調管理に心掛けていただき、家族みんなで、
    イエス様に喜んでいただけるような、心のクリスマスプレゼントを準備しながら過ごしましょう。
     
     さて、クリスマスを考えたとき、何故神様の子どもが『人』となって
    生まれてきたのだろう…?という素朴な疑問を感じる方はいらっしゃらないでしょうか?
    簡単には説明できませんし単純に納得できるものではありませんが、
    そんな問いかけに答えてくれる、とてもわかりやすく書かれている絵本に出会いました。
     
     あるところに、クリスマスを見せかけのギマンだと思っている人がいました。
    彼は家族に優しく、人に対しては誠実な人でしたが、
    『神が人間として生まれたことを喜び祝う』クリスマスの意味を一切信じられませんでした。
    「私は、偽善は嫌いだからね。なぜ神が人間になったのか、私には理解できない。
    馬鹿げているとしか思えない。」クリスマスイブに妻と子どもたちは教会に出かけましたが、
    彼は家で留守番をしていました。 
    間もなく雪が降り始め、彼は暖炉に座って新聞を読み始めました。
    すると、『ドスン!!』と大きな音が何度もしたので驚いて外に出てみると、
    鳥の一群が吹雪の中を必死に避難場所を探して、暖かそうに見える家の窓に
    ぶつかってきていたのです。鳥たちは窓の下で身を寄せ合い、うずくまっていました。
    「かわいそうに。ここで凍え死にするのを黙ってみていられないな。」
    彼は、子どもたちが馬を飼っている納屋を思い出ました。
    『あそこなら鳥たちの暖かい避難場所になる!。』彼はコートを羽織り、
    雪靴を履くと、降り積もった雪をかき分けて納屋に向かい、戸を大きく開けて
    中の電気を点けました。しかし鳥たちは入って来ません。
    「えさで誘い込めるかな?」彼は家に戻ってパンをとると、納屋の入り口に向かって
    雪の上にパンくずを撒きました。しかし鳥たちはパンくずが餌だと知るよしもなく、
    雪の中をむなしく飛び回っているばかりです。彼は力いっぱい腕を振り、
    納屋に向かって追い立てようとしましたが、近づいて来るどころか
    暖かく明かりの灯った納屋には目もくれず、ちりぢりに逃げて行ってしまいました。
    「あぁ、鳥たちの目には私は見慣れない恐ろしい生き物に映っているのだろう。
    どうしたら信用してわかってもらえたのだろう。何とか助けたかった・・・。
    ちょっとでも私が鳥になれれば、鳥たちを安全な場所に誘導できたのに・・・」
    そう思ったその時です。あちこちの教会の鐘が鳴り出しました。
    彼は無言で立ち尽くし、クリスマスの喜びを告げる鐘の音に聞き入りました。
    そして雪の中にひざを落とし、そっとつぶやいたのです。
    「今ようやくわかりました。神様、あなたが何故人間になられたのかが・・・」   
    神様の思いが分かった時、本当のクリスマスの喜びと贈り物の価値がわかります。
    人間の姿になってまでも、私たちを幸福へと導いて下さろうとした神様によって
    生かされていること、家があり、家族があり、健康で安心してすごせる場所が
    与えられていること・・・等など。神様に数え切れないほどの
    贈り物をいただいていることに感謝してクリスマスを祝い、
    来年も又神様に導かれながら生活できる一年にしてゆきましょう。

  • もみじ
    〝実らせる“ための時間                  園長  湯本 美奈子
     
    昨年に続き、運動会は雨で翌日に延びたものの、ちょうど良い日和の中
    元気いっぱいの運動会となりました。
    私事で16日からお休みをいただき、バザーも園長不在で申し訳ありませんでした。
    職員から盛況のうちに無事終わったことを聞き、役員さんはじめ保護者の皆様方には、
    感謝の気持ちでいっぱいです。 お疲れ様でした。 本当に有難うございまいた。
     お陰様で18日に無事手術が終わり、現在はリハビリに励んでいます。
    子どもたちが毎日御聖堂で祈ってくれていること、年中さんが園外保育で私の入院している
    病院のそばを通った時、みんなで園バスから「園長先生~頑張ってね~!」と
    声を張り上げてくれたことなど、嬉しく有難い気持ちでいっぱいです。
    台風の爪痕も大きく、最近も良いお天気に恵まれませんが、短い秋のひと時、
    自然を感じながら、園外やお庭で、元気に過ごして欲しいと願っています。

    11年前に自骨で手術をしたときは、1か月間ベッド上で身動きすることもできませんでしたが、
    人工股関節となると術後3日で車椅子に乗ってトイレに行くこともでき、
    一週間もしないうちに歩行器を使って歩くこともできるようになりました。
    私の性格上じっとしていることができないので、動けるのが嬉しくてお天気の良い朝、
    洗濯をしてベランダに干しました。充実感でベッドに戻り、友人にもらった本の
    その日の箇所を読むと『私はあなたを造る時に、休息の必要を組み込んだ。
    常に動き回っていることで、どれだけ多くの時間とエネルギーが無駄に使われたことか…(続)』
    と書いてあり、思わず声を出してしまいました。「神様見てたの?」と。(笑)
    ところが順調に進んでいたはずが、その日の夜トイレに行くために歩こうとした途端、
    激痛が!…歩けなくなってしまったのです。翌日はちょうどレントゲンを撮る日だったので、
    幸い異常は認められず、しばらくじっとしていることにしました。
    家族に叱られたことは言うまでもありません。(謝)
    何となく何もしていないことが申し訳ないというか、早く良くならなくては・・・
    と思う余り、大事なことを忘れていました。
    窓の外を見ると、リンゴの実がたわわに実っています。
    隣の木にはもう収穫されたのか1個もなっていません。
    農家の方はそれぞれの実に備わった恵みを最大限に引き出すため、じっくりその時を待って
    〝実らせて″下さるのでしょう。本の箇所にはこうもありました。
    『必死に頑張るのはよしなさい。私が設けたこの日を喜び、感謝しなさい。』と。
    先々の計画や決定の事で頭がいっぱいになって自分の思い通りに過ごそうと奔走している時は、
    熟れていないリンゴを収穫しているようなものです。心身ともにストレスを抱え、
    恵みを無駄にして、あとで後悔することになるでしょう。
    今与えられた時間をどう使うのが、後々の実りにつながるのかなんて、
    意識して生活することはないと思います。
    そんなことを考える時間もないほど、日々忙しいのですから。
    でも、頑張りすぎるのがよくないことを身を持って知りました。
    休息することは神様がセットして下さった時間なのです。
    これから年末に向け、もっと慌ただしくなってきますが、親も子どもも、
    意識して休息の時間を取りましょう。もったいないと思う時間は、実を熟す時間で、
    休むことは後々の大きな実りにつながることを信じて自分の身体をいといましょう。
    休んだ後は、思った以上に実りの成果は大きかったですよ。

  • 運動会
    うれしい 楽しい 運動会          園長  湯本 美奈子

    朝、窓を開けるとひんやりとした空気がとても気持ちのよい季節になりました。
    心地よい時期はあっという間に過ぎてしまいます。心も体も、全身で『伸び』をして、
    秋の自然を、そしてこの時期ならではの活動を心ゆくまで楽しみましょう。
    風邪などひかないよう、体調管理もお願い致します。

     いよいよ運動会まであとわずかとなりました。
    今年のテーマは『うれしい 楽しい 運動会』 -心を一つに頑張ろう― です。
    嬉しい楽しいことばかりではありませんが、基本は『楽しい』ことが前提です。
    楽しかったことは自信と意欲につながり、一生の思い出になることもあります。
    その過程で育てたいもの、育つものは沢山ありますが、運動会のために無理やり
    『頑張らせる』ものであってはいけないと思っています。
     今年は7日ですので時間は沢山ありました。
    一つ一つの種目を決めるところから、ねらい、内容・・・先生方とじっくり話し合って進めてきました。
    大人はリズムやパラバルーン、組体操やマスゲームなどの競技にどうしても力が入りがちですが、
    子どもたちにとっては、全ての種目が大事で楽しいものです。
    早い時期から玉入れや綱引きの練習をするうちに『勝ちたい』とか『今度こそ』という気持ちが湧きあがり、
    他の種目まで「がんばれ~!」「先生見てて!」「もう一回!」と頑張る気持ちや、
    あきらめない気持ち、応援する心がどんどん育っていきました。
    でもそんな時ばかりではありません。中だるみや、やる気が出ない時だってあります。
    そんなある時、先生の檄が飛びました。
    「どうしたの?!一生懸命頑張った姿を、おうちに人に見てもらいたいんじゃないの?!・・・
    みんなならできる!」それを聞いた子が、夜「今日は一生懸命やらなかったから先生に怒られちゃったの。
    私だけじゃないよ。みんな。最初は泣かなかったけど、みんなならできるって言われたら涙が出ちゃった・・・」
    とお母さんに話したそうです。先生に叱られても、信じて応援してもらえていることを
    ちゃんとわかっているのでしょう。次の日の練習の最後、先生の大きな〝手の花丸″と拍手に、
    ジャンプしてみんなが「イェ~イ!!」。みんなの心が一つになった瞬間です。
     その後も「あといくつ寝れば運動会?」「お当番さんは運動会で何を頑張りたいですか?って聞かれるんだけど、
    玉入れ!って答えるの。だって勝ちたいんだもん」「園長先生も運動会見に来てくれる?(はい、もちろん!)」
    子どもたちの言葉を聞くたびに、本当に嬉しく楽しみになります。
    一生懸命頑張ったからこそできた時の喜びは大きいし、勝っても負けても『満足』なのです。
    最近涙もろくて、練習でもちょいちょい泣きそうになります。
    子どもってすごいですよね。実際、まだまだ暑いですから、練習は疲れると思いますよ。 
    先生、怖い時もあるし…(笑)  でも先生たちの励ましと笑顔と抱きしめている姿を、私はちゃんと見ています。

    嬉しい楽しい、よい運動会になりますように。 応援よろしくお願い致します。

  • たくましく育てる                   園長  湯本 美奈子

     夏休みが終わり、いよいよ二学期が始まりました。
    お掃除大会も、お休み中にお手伝いいただき、有難うございました。
    気持ちのいい環境で過ごせることを心から感謝いたします。大人にとっても楽しいお休みでしたか?
    園が始まってほっとしていらっしゃる方のほうが多いかもしれません。
    街で久しぶりに会ったお母さんから、子どもたちが幼稚園を楽しみにしているという話を聞き、
    本当に嬉しく有難く思いました。二学期は長いですが、沢山の行事があります。
    有意義で楽しい経験を、たくさんさせてあげたいと願っています。
     休みが長かった分、リズムを取り戻すまで時間がかかる子もいます。
    ずいぶん昔になりますが、私の長女が入学して間もなく、突然学校に行きたくないと言い出しました。理由を聞いても訳が分からず、毎日泣きながら登校していました。
    私も新学期で忙しい時期でしたし、下の2人の弟妹も手のかかる年頃でしたから、
    言葉にできない不安や馴染めない様々な環境が、登校を渋らせたのだと思います。
    「早く」という言葉が口癖になっていました。私の責任です。
    それで朝、普段より早起きして自分のことを全て済ませ 、3人とゆっくり朝食をとった後、
    花いちもんめをしたり、ジャンケン遊びをしたり、鬼ごっこをしたりしながら通学路を歩きました。行ってらっしゃいと抱きしめて角を曲がるまで見守って、その後猛ダッシュで幼稚園へ。
    そんなことを続けるうちに、ある時「お母さん、明日からは自分で学校に行けるから大丈夫。」
    と言って来てくれました。本当に嬉しかったです。
    子どもは自分の気持ちに共感してくれたり、受け容れてもらっているという安心感を得れば、
    自分から乗り越える力を持っています。
     3番目の長男はかなりの問題児で、担任だった香代先生からは、毎日のように連絡帳で
    問題エピソードが返ってきました。その度に話して聞かせましたが、とうとう堪忍袋の緒が切れて、
    息子を帰りの車に乗せ、山奥のお墓に捨てに行きました。
    好き勝手に、一人で山奥で暮らせばいいと。今なら幼児虐待になり兼ねませんが、
    自分で我慢したり、けじめをつけたり協調することがどれだけ大切なことかを、
    体を張ってでも教えたかったのです。
    涙と汗でぐちゃぐちゃになりながら本気で向かってきた息子が、本当に愛おしかったです。
    このお盆に帰ってきた息子(教師をしています〈笑〉)と、それも
    『資質と能力について!?』のお題をもらい、夜中までいろいろな話をしました。
    あの問題児だった息子から、一人ひとりを大切に、個性を尊重する教育論を聞くようになったなんて、感無量でした。
     二学期は沢山の行事があり、その過程で様々なことを学び、乗り越え、成長する大切な時期です。
    けれども一人ひとりの体力も感受性も、乗り越えられるハードルの高さも違います。
    〝今″この子に最も必要なものは何かを考えて与えること。時には受容とやさしさであることも、
    厳しさと試練であることも両方大切です。対応の仕方は様々で正解はありませんが、
    そこに『愛』がある限り、子どもには、親の思いが必ず通じることを信じてください。
    子どもたちの言動には意味があります。共感し応援しながら見守る中で、
    日頃から低いハードルをちょこちょこ超える経験は子どもの生きる力と自信につながります。
    どうか子どもの力を信じて、とびきりの笑顔で送り出してあげてください。
    そしてハードルを自分の力で飛び越える事ができた喜びを感じられるような
    二学期にしていきましょう。

  • Penguins
    『Re・creation』               園長  湯本 美奈子

     暖かい日差しが心地よかった季節もつかの間、肌に厳しい初夏の日差しになってきました。 6月20日にはプール開きとなり、小高神父様が聖水の話や祝福の意味をお話し下さったあと、水遊びの安全を願って丁寧に祝福と祈りを捧げてくださいました。 登園すると、「今日はプールに入れる?」とお天気を心配しながら、楽しみにしている子どもたちです。
    先日の『家族の日』には、お休みのところ大勢の保護者の皆様にご参加いただき、有難うございました。講演の後のファミリーコンサートも、園庭でのリズムやゲームも皆さんの笑顔あふれる表情に触れ、見ている私達まで元気になりました。親子の関わりの大切さ、家族の在り方を考えさせられた、たった数時間のレクリエーションでしたが、親子関係を再確認し、リフレッシュ、リラックスできた一日だったことでしょう。
    さて、普段レクリエーションと聞くと余暇やレジャーを想像しますが、Re(再び)・creation(創造)ということばからきていて、もう一度『神が全てを創造された』時の思いに立ち返り、人間の原点に戻ることなのだと、以前神父様が勉強会で話して下さったことを思い出しました。『忙しさやストレスや疲れによって、人はわがままになり、発想が貧弱になり、生かされている喜びや創造(全ての被造物)への感謝を忘れてしまいがちです。だからDAY・OFF(休日)にして、スイッチを切って充電すること、“レ・クリエィション”することにより、感謝のうちに更により善く生き、よりよく働くことができるようになるのだ』と。
     4月から数ヶ月経ち、大人も子どもも結構疲れが溜まってきた頃です。まして日に日に暑くなってくると、イライラすることもあるでしょう。ちょっとした事でカッとなったりもします。夏休みは、『Re・creation』してリセットし直す、良い機会かも知れません。
    私も子どもの頃は、ハッとしたり、ドキドキしたり、ワクワクすることがいっぱいありました。空の色、雲の形、セミの声、夕立の香り、花々の色、星の輝き・・・・。何といっても夏になると近所のお店に『アイスクリーム(・・・・・・・)』の旗が立ち、棒キャンデーが売られるのです。(昭和か!)小銭を握ってわくわくしながら、友だちと並んだものです。今は何でもいつでも手に入り、お蔭で色々なことに鈍感になってしまっている気がします。
    今年の夏は遠くに行かなくても、わくわくするような体験を親子でしてみましょう。同じ空気を吸って、ハッとしたり、ドキドキするだけで、子どもにとったら最高のワクワクと感動の体験になるでしょう。Re・creationした夏休み明け、それぞれの楽しい思い出話を楽しみにしています。 事故や怪我のないようお元気でお過ごし下さい。

  • Hydrangeas
    イエス様のみ心                園長  湯本 美奈子

    すがすがしく気持ちの良い気候から、急に暑くなったり
    じめじめとした梅雨の季節へと向かってゆきます。
    入園から2ヶ月、疲れも出てきて調子が出なかったり、登園を渋りがちな時期ですが、
    休息を充分にとりながら様子を見ていってください。
     さて、5月は『聖母月』として私たちのお母さんであるマリア様を敬愛し、
    共に神様に祈っていただく月としてご紹介しましたが、
    6月は『聖心(みこころ)の月』として、神様がどれほど私たちを愛してくださっているかを
    再確認し、御旨(みむね)に倣う月として奨励しています。
     下にマタイ福音書の『人のあやまちをゆるせ』の箇所を載せました。
    1デナリというのは当時の1日分の賃金で、6,000デナリが1タラント。
    一日の賃金が6,000円だとすると、主人が免じてやった1万タラントというのは
    3,600億円!(実際一生かけても返せないほどの額ということですね。)
    しもべが許さなかった同僚の負債は100デナリですから、比べようもありません。
    感謝も思いやりもないしもべを、主人が怒って拷問係に引き渡したのは無理もないというか、
    当然というか同情の余地もありません。けれども、そう思っている私は、
    実際同情の余地もないしもべと同じだということを、つい忘れてしまいがちです。
    ヨハネ福音書には、姦通の現場で捕まった女の罪について書かれています。
    ファリサイ派の人々がイエスを試みて「モーセは律法で(姦通の罪を犯した)
    このような女は石を投げて殺せと命じています。あなたはどう考えますか?」
    と聞きます。するとイエス様は「あなた方のうち、罪のない者が、
    まずこの女に石を投げなさい。」と言われます。
    これを聞いた年長者から一人去り二人去り、遂には誰もいなくなります。
    そしてイエス様は「私もあなたを罪に定めない。これからはもう罪を犯してはならない。」
    と言われるのです。
    私は姦通の罪も犯さず、借金の取り立てもしていませんが、罪がないわけではありません。
    嘘もつくし、ねたんだり腹を立てたり怠けたり…内緒で自分だけ美味しいものも食べるし、
    大きい方や良いものを先に取ったり・・・まぁ、小さい人間なんですよ。(泣)
    裁判沙汰になるような罪は犯さなくても、罪の意識もない私の、
    ちょっとした言動で傷ついた人もいると思います。
    傷つき方も感じ方も人それぞれですから、傷ついた人にとって私の罪は大罪です。
    けれども自分の罪を認め、罰を受ける事を覚悟し、心砕かれた者を7の70倍までも
    (何度でも)赦される方がイエス様です。
    子ども達といっしょに祈る裏ページ『主の祈り』の
    「私たちの罪をおゆるしください。私たちも人をゆるします」
    の箇所をかみしめながら、気付かないうちに罪を犯している自分を反省し、
    謙遜さと思い遣りを忘れないで過ごしたいものです。

    人の過ちを許せ  マタイによる福音18章21節まで
    その時、ペトロはイエスに近寄って、「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したならば、何回までゆるしたらよいのでしょうか。7回までですか?」と尋ねた。イエスは答えられた。「私はあなたに言う。7回どころか7の70倍までもと。それで、天の国は次のようにたとえられる。一人の王がしもべたちと貸借の決済をつけようとした。決算が始まると、1万タラントの負債がある者が王の前に連れ出された。しかし、返すことができなかったので、主人は、その人自身と、その妻、子、および持ち物全部を売って負債を返すように命じた。このしもべはひれ伏して、『どうぞ、もうしばらくお待ちください。きっと全部お返しします』と哀願した。そこで、主人は哀れに思って、彼をゆるし、借金を免じてやった。ところがこのしもべは外に出ると、自分に百デナリの負債のある一人の同僚に出会った。彼はその同僚ののど元を締め付け、『借金を返せ』と言った。この同僚はひれ伏して、『もうしばらく待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし彼は承知せず、かえってその同僚を引っ張っていき、負債を返すまでといって牢屋に入れた。この一部始終を見ていた同僚たちはひどく心を痛め、主人の前に出てすべてを告げた。そこで、主人は彼を呼びつけ、『ふとどきなしもべだ。私はおまえが頼んだとき、負債を免じてやった。私がお前をあわれんだように、おまえもあの仲間をあわれむべきではなかったか』と言い、怒って、彼が負債を全部返すまでといって、拷問係に引き渡した。私の天の父も、もしあなたたち一人ひとりが、自分の兄弟を心からゆるさないならば、あなたたちに同じようにするであろう」。

  • 菜の花と鯉のぼり 
    マリア様のこころ             
    園長  湯本 美奈子

     入園式から1ヶ月が経とうとしています。
    今年からすぐに平常保育となりましたので、かえって進級児はゆったりと
    いつものリズムで過ごすことができ、お花見散歩や園庭での自由遊びを満喫することができました。
    家庭訪問や懇談会もお忙しい中、時間を割いていただきましてありがとうございました。

     さて、カトリック教会では5月を『聖母月』として、イエス様の母であるマリア様に倣い
    尊敬と思慕の念とともに、神様に取次ぎを願いながら祈ります。
    5月はちょうど『母の日』もあり、いくつになってもお母さんは大好きで懐かしく、
    心から感謝したい気持ちになりますね。
     マリア様はイエス様のお母さんであって、もちろん神ではありませんが、
    イエス様が初めて奇跡を行ったのはお母さんに頼まれたからでした。
    一番下に、ヨハネ福音書の2章~〝カナでの婚礼″の箇所を載せました。
    その頃の結婚式というのは、大家族制度の中で何日も祝宴が続いたそうです。
    ですからそこでの飲食の量も半端ではなかったはず。
    きっと沢山用意して、もてなしたのでしょう。
    ところがメインのブドウ酒がなくなりかけます。これは大失態です。
    最近では『飲み放題プラン』の結婚式が多いので心配ありませんが(笑)
    当時大人数のブドウ酒を急に集めるなどというのは、至難の業だったに違いありません。
    当然文句が出るであろうし、それこそ末代まで語り継がれるかもしれません。
    マリア様は招かれていた側ではありましたが、様々なことを思い巡らし、
    イエス様に頼むしかないと思われたのだと思います。けれどイエス様は、簡単に断りました。
    にもかかわらずマリア様は、給仕たちに「この人の言う通りにして下さい。」と言いました。
    息子イエスに対する絶対的な信頼です。
    そしてその信頼に、息子イエスが応えます。
    かめに口元まで入れられた水は600ℓ以上、厳密に考えればコップ一杯ずつ飲んでも
    3,000人以上が飲めるほどです。とにかく山ほどの量の上等なブドウ酒に変わりました。
    その上、マリア様もイエス様も「私がやりました!」なんて一言も言いませんし、
    それを見たほんの数人しか水がブドウ酒に変わった奇跡を知りません。
    他の人は信じないでしょう。
    マリア様の願いはわがままではなく、愛そのものによるものでした。
    そして母の願いを聞き入れて下さったこれが、イエス様の行った最初の奇跡です。
    ですから私たちは『アベマリアの祈り』を唱える時、お母さんであるマリア様にも、
    私と一緒に祈って下さい、神様にお願して下さいと思いながら、加護を願うのです。

     さぁ、私たちの親子関係はどうでしょうか?
    幼いほど、子どもは母に絶大な信頼を寄せるものです。
    日々の関わりは、信頼関係を築くに相応しいものでしょうか?
    この子ならきっとこうするに違いないと、我が子を信じて待つことができる親は幸せです。
    自分を心から愛してくれているのはお母さんだと確信できる大人に成長できる子どもは幸せです。
    信頼関係は一朝一夕に築けるものではありません。
    こんな私を母にして下さったことに感謝しながら、
    良い母親に育てて下さいと祈りながら過ごしましょう。

    カナでの婚礼              ヨハネによる福音書2章1節から
    三日目にガリラヤのカナで婚礼があり、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちもその婚礼に招かれていた。ブドウ酒がなくなりかけたので、母はイエスに「ブドウ酒がありません」と言った。すると、イエスは母に、「婦人よ、このことについて私とあなたとは、考えが違います。私の時はまだ来ていません」とお答えになった。母は給仕たちに、「なんでもこの人の言うとおりにしてください」と言った。さて、そこにはユダヤ人の清めに用いる石の水がめが、六つおいてあった。いずれも80ℓないし120ℓ入りのものである。イエスは給仕たちに「かめに、水をいっぱい入れなさい」と仰せになった。彼らは、水がめをふちまでいっぱいにした。イエスが、「さあ、それを汲んで、世話役のところに持っていきなさい」と言われたので、彼らはそれを持って行った。世話役は、ブドウ酒になったその水を味わってみた。水を汲んだ給仕たちは、事の成り行きを知っていたが、世話役は、それがどこから来たかを知らなかったので、花婿を呼んで言った。「誰でも初めに良いブドウ酒を出して、酔いのまわったころに、質の落ちるものを出すものですが、あなたは良いブドウ酒を今までとっておかれました」。このことを、イエスはしるしの初めとして、ガリラヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。

  
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